2015年1月16日金曜日

『毛皮のヴィーナス』

☆ロマン・ポランスキー監督/2013年/フランス

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・ブンカムラ

☆なぜ見たか・・・ポランスキー。気になってしまうので


予告見てマチューさんにトホホ!!


かっこいいポスター。ちなみに実際メガネ割れるシーンはなし。


最近では、映画館で見たものに関してはツイッター(レイチェル決行)でサラッと感想書いて、
こっちはDVDで見たの中心にしてるんだけど(中心もクソも。更新超気まぐれ)、
ツイッターみたいな、誰かに絶対見られてるほうには書きづらい感想を
こっちに書いてしまおうと思ったのでした。
見てる人おそらくほぼ居ない、廃墟のようなブログの利点活用。

毛皮のヴィーナスについて、
たとえば公式サイトに寄せられたコメントを見ても、
なんか「さすがポランスキー」みたいな、「ワンダすごい」みたいな、
あいまいな感想がほんとに多くて。
腫れものに触るかのような扱いというか。
たぶんいろいろ言及しようとすると自分の性癖とかがあらわになるからなのかなと思った。

というのもこれ、女の子(賢くてかわいい)と一緒に見に行って、終わるなり私は
「マチューさん情けない!あんなマチューさんノーモアー」みたいなこと言ったんだけど、
一緒に行った子は「マチューさんのサービスショット満載」とか「マチューさんセクシーすぎ」とか
そんなようなこといっぱい言ってた。
サービスショットってどれだ!!
もうこの反応の差だけ見ても、
まぁ身も蓋もない言い方をすれば”どっち寄り”かが少々わかるというか、
どう感じるかは人それぞれだよなー、みんな違ってみんないい!あっはっはって感じ。


けどとりあえずそういう問題はさておいて・・・
冒頭の、CG感満載の並木道からの劇場入り口、
のとこでもう若干、引いてしまった。
途中でとってつけたようにとどろく雷鳴とかも凡庸で、
ハラハラドキドキ感がむしろ減退してしまう。
ポランスキーは中期の作品とか見てないのもいろいろあるんだけど、
いつからこんな演出をするようになったのでしょうか???
物語の転機となるところも、
ふたりともちゃんと演技してるのにいかにも~な音楽で煽ったりして残念。
(ちなみに、衣装を着たとたんにスイッチ入る。堂々たるコスプレ映画!)
せっかくふたりしか出ていない俳優を、もっと信じればいいのに。

主従関係のみならず性別までも交換可能なものとして描かれるのはおもしろかった。
マチューさんが終始プルプル・・・って感じで、あー。メンドくさい。

ようするに加虐側は、一見、傍若無人に振舞って相手をこまらせてるかに見えて、
実は相手の要望をくみ取ってお世話焼きをしてる。
エス/エムの関係が成立するのは、エスの人がお世話焼きできてるときのみ。

で、『毛皮のヴィーナス』におけるワンダ。
マチューさんの痒いとこに手が届く、上等のお世話焼きをしてたと思うが、
なんの得があっての言動なのか、ていうか、何この人?
女優あきらめて私立探偵になる、とかいう異次元の発言は好きだったんですけど、
ならせめてもうそういう異次元系の女でいてほしかった。
変にフェミっぽい発言するし論理的なことも言うから、どんどん着地点がわからなくなり、
最終的には死霊の盆踊りですよ。
ポラさんにとってこの人はヴィーナスに見えるのか知らないけど。
ていうか、ポラさんのなかではそれはもう、確固たるワンダ像もおありでしょうし、
自分に似た男と妻とに演じさせることに歓びもおありでしょうけど、
こっちにしてみたらなんとなくとっ散らかった印象。
妙なフェミ発言とかは、流れを無駄に停滞させてる気すらした。
(別に思想に対して文句を言っているわけではない。いちミリも)

マチューさんは、頑張ってました。
何度か声あげて笑いそうになったけど。
ジミジョル見て禊ぎ禊ぎっ。

興味深かったのは、芸術か、ポルノか?の問題。
男は芸術と言い張り、女はポルノと言い張る。
結論・・・分けて考えることから無理が生じる!!
エンドロール、カバネルのヴィーナスたちが声高にそういってた、気がした。

2015年1月11日日曜日

『リトル・マーメイド』

☆ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ監督/1989年/アメリカ

☆見るの・・・?? 20回めくらい?

☆見た場所・・・自宅(DVD持ってる)

☆なぜ見たか・・・メンケン、アシュマンの偉業を再確認しようとして


ひとつ前の記事の『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』の成功を経て、
アラン・メンケンとハワード・アシュマンは新体制ディズニーアニメの音楽担当に。
その輝かしい第一作目が、これでした。


一匹のお魚が、船の上と海底とをつなぐタイトルシークエンスからもう、
素晴らしさに身震い。
さりげないけど、きちんとした導入。

ディズニーアニメが”お姫様”を描くのは実に30年ぶりで、
王子様の到来をじーっと待って、周囲のいやがらせに耐えて・・・というお姫様像は、
アリエルで完璧に覆った。
自ら厄介ごとを起こすし冒険心旺盛、なんなら少々ワガママっていう、
新しいお姫様がここに生まれた!


情熱的な真っ赤な髪は、海によく映える。
「人魚はキンパツだろ?!」って意見が製作段階で有ったようだけど(何それ)、
赤で大正解。大成功。
アリエルは途中で一度、声を失ってサイレント状態になりますが、
もうそのくるくる変わる表情の豊かさよ。かわいらしさよ。

他のキャラクター造形も見事で、まず悪者のアースラね。タコの怪物。


この厚化粧とでっぷりした風貌、取り巻きを従えてる貫禄・・・
場末感の女感がすごい。
ディズニーヴィランズはほんと、洒落っ気と不思議な色気がある人が多いと思う。
悪役不在のアナ雪の軟弱さがいよいよ情けなく感じてしまう。
『魔法にかけられて』も数年前に見ようとしたけど、あまりにも悪役に魅力が無く、
というかアニメ部分が全体的に手抜きすぎで、途中で見るのやめてしまったわ。
アースラが船の上を駆けてくるとことか目が血走って巨大化するとことか、
小さいころ超怖かった・・・

余談だけどアースラをなんの魚類にするか?という議論のなかで、
カサゴという案が始めに有ったらしい。
カサゴ!



そして、セバスチャンを執拗に追いまわすサイコ気味のシェフ・ルイ。


声をあてているのはルネ・オーベルジョノワ!!!
バードシットの、鳥化する博士!


海にいる面々が魅力的に紹介されるのは、名曲アンダーザシー。
この曲はディズニーの数ある楽曲のなかでも一番くらいに完成度が高いと思ってる。
カリプソやレゲエの要素を取り混ぜたポップミュージックで、
もう前奏から心を浮き立たせてやまないのだけど、圧巻はその言葉遊び。

こういうのって、歌詞を全部掲載したら著作権に抵触するんでしたっけ?しない?
まぁどうせディズニーの人とかがこの記事をみる確率はゼロなのでなんでもいいんですけど、
韻ふみまくりのとんでもないパートのみここに引用~。

The newt play the flute
The carp play the harp
The plaice play the bass
And they sounding sharp
The bass play the brass
The chub play the tub
The fluke is the duke of soul

The ray he can play
The lings on the strings
The trout rockin' out
The blackfish she sings
The smelt and the sprat
They know where it's at
And oh, that blowfish blow!

ここのパートすごい早口なんだけど、これを完璧に歌いきって悦に入りたい。

あと、
Each little clam here know how to jam here とか、
Each little slug here cutting a rug here とか、
What do they got, a lot of sand
We got a hot crustacean band とか・・・キリがなくて困る・・・・・・

天才すぎ。ハワード・アシュマン。

そんなハワード・アシュマンは、続く『美女と野獣』でもメンケンとコンビを組み、
その次の『アラジン』の作詞途中に、40歳という若さでこの世をさりました。
アシュマンの死の当時はまだ公開前だった『美女と野獣』、
エンドクレジットにはこんな感動的な献辞が。

To our friend Howard,
who gave a mermaid her voice and a beast his soul,
we will be forever grateful.

もうそらんじてるわ!!!

アンダーザシー以外にも名曲だらけで、
アリエルが陸での生活を夢見て歌うパートオブユアワールド。
セバスチャンが王子とアリエルのキスを促して歌うキスザガール。
怪物アースラの怖過ぎナンバー、あわれな人々。(poor unfortunate souls)
全部が全部超絶好き。
物語から自然に曲へと入っていく、というか、物語るための曲。
偉業も偉業。


リトルマーメイドではセバスチャン(カニ)にカリプソを歌わせ、
美女と野獣ではガストンにワルツを歌わせる。(フランスだから)
アラジンではもちろんアラビアンな音楽、
ノートルダムの鐘では大聖堂に見合う聖歌隊、
ヘラクレスではギリシャ神話=宗教音楽=ゴスペル。
こういう、単純明快さと天才とが相俟って、
素晴らしいアニメ映画とそれを美しく語る音楽とが生まれたのですね!!!


ターザンあたりから長い迷走期間に突入してるディズニーアニメ。幸あれ。


PCから見れると思うアンダーザシー。↓↓↓


『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』

☆フランク・オズ監督/1986年/アメリカ

☆見るの・・・2回め

☆見た場所・・・自宅(地元ツタヤレンタル)

☆なぜ見たか・・・オリジナル版を見たら、これももっかい見ようという気になって


ひとつ前の記事の『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』が
1982年にオフ・ブロードウェイで舞台化され、それの映画化。
なので、ストーリーとかはその舞台版に準じているみたい。


というか、おおまかなストーリーは1960年版と同じだけど、
シーモアの置かれている環境(掃きだめのような街=スキッドロウから脱出を夢見てる)とか、
職場のかわいいオードリーちゃんとイカレ歯医者が恋人同士とか、
細かい設定がなされている分、ドラマとして見られる。

そして、あの二枚貝のようだったオードリーJr.が、物凄いクオリティーに・・・!


ツタの一本一本まで入魂されている!!
ロジャーコーマン氏に「お金使いすぎ」と言わしめただけあって、
ツタが鞭のようにしなって人体にからみつく様子とか、すごい出来栄え。
シージーを見慣れたいまになるとそこまで驚かないかもしれないけど、
これは約30年前としては相当すごいのでは・・・
(舞台版でどうやってたんだろう?!)

ラストシーンは、試写で評判が悪かったのでハッピーエンディングに変えたそうですが、
本当にとってつけたようで、残念感が否めない。
ヒーローが見たくてこの映画を選んだわけじゃない。


サディスティック歯医者がかなりストーリーにからんできて、
演じるスティーヴ・マーティンのノリノリっぷりときたら!!!


口中からのショット。

髪が黒々していて革ジャン着てゴツいバイクを乗り回して女を殴る蹴るマーティン、
やばい・・・
患者の痛みが俺の歓び。

1960年版でジャック・ニコルソンが演じていたマゾ患者は、ビル・マーレイが。


なんか本当の変態みたいに見えた。
いろんな過去を背負ってるように見えた。
ジャック・ニコルソンのがエキセントリックだったけど、変態度では負けてない。


この映画で最も語られるべき点は音楽で、
ディズニーアニメファンならこの名を知らぬ者はないという、
アラン・メンケン。そしてハワード・アシュマン!
(そして今回初めて知ったけど、なんとボブ・ゴーディオが!アレンジに参加してるらしい)

3人のミューズたちが狂言回しとなって、物語を歌で進行していく。ヘラクレス方式。
マーティンのブチギレナンバー、オードリーJr.のイケイケナンバーもさることながら、
このミューズたちがほんとにね、気づけば後ろに居て歌ってる感じがすごくいい。


メンケン×アシュマンのコンビは、この作品の成功をきっかけに、
新体制ディズニーの音楽担当に抜擢されたらしい。
そこからあの素晴らしいアニメーションの数々が生まれたことを思うと、
作品としての好き嫌いとは別次元でこの映画に感謝せずにはいられない。


『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』

☆ロジャー・コーマン監督/1960年/アメリカ

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(DVD購入)

☆なぜ見たか・・・中古DVDが250円で売ってたので。買ってしまったので


ひさしぶりに自分のブログ見たら「どこの国から閲覧されたか」を見る欄を見つけた。
もちろん、ほぼ日本だけど、たまにアメリカ、ロシア、ドイツ、ウクライナとか・・・
何を間違ってたどりついたのかわかんないけど、センキュー!スパシーバ!ダンケシェーン!
ヂャークユ!!!(←ウクライナ語でありがとう。調べた)

  ウクライナ語を(うまく)話せません。
Я не говорю [добре] українською. (ヤー ネ ホヴォリュー (ドーブレ) ウクライーンスィコユ)

ウクライナ語の話はこれでおしまい。
気を取り直してリトルショップオブホラーズ。


ロジャー・コーマン監督の映画ってほぼ見たことない気がする。
レンタルあまりないと思うし、BOXは3作品しか入ってないのに高額で買う気しないし・・・
ってことで、あまりしらないままの鑑賞!

この作品、2日で撮られたとか予算3万ドル以下だったとか、ウソみたいな俗説がありますが、
のっけから異様な雰囲気に満ちていた!!
アニメで描かれた街、そこにかぶさるフィルムノワール調のモノローグ、
でもその語り主が実際に画面に出てくるのは終盤も終盤。
そして舞台となるお花屋さん(と言いつつ、予算の都合かお花があまり無い)には、
お葬式マニア、お花食べマニア、変人ばかり来る。
わりと普通のテンションで描かれるので、強引に押し切られるかたちに。

とか言っといて、あれですが、
B級だB級だ言って珍妙ポイントばかり挙げるのは気が引けるような作品で、
予算に無駄がないのと同様に、カットさばきも無駄なくテンポよく、
よっ職人芸!といった感じ。
新喜劇のようなズッコケたオチも、リメイク版よりずっといい。
上映時間も72分とシャープ。
わずか数日で撮りあげられたというそのつんのめり感、突っ走り感、
ノリノリな感じが、全編にみなぎる。

まぁでも低予算なのはいたるところで感じられて、
なんといっても、主役と言っていいオードリーJr.がしょぼい(口がパッカッ・・・っと開く)。
いま見るとご愛嬌で済まされるけど、まぁしょぼい。二枚貝。



あとなんといっても!ジャック!ニコルソン!!
まだ20代前半だけど顔がいまと同じ。
歯医者さんとこ行ってニヤニヤと「麻酔はしないでください」とか、
「もっとして~」とかいう変態患者の役。


こんな眼見開かれたら医者側も怖いだろうね・・・
施術後、振り返った彼の顔がおもしろすぎる。怖すぎる。
出演時間は短いけど、異彩放ちまくり。

主役のジョナサン・ヘイズという人は、
ルノワールの『ピクニック』のボンクラフィアンセにちょっと似てる。
「ほら、ウグイが居るぞ~」「うま?!」でおなじみの。
エレファントマンみたいなあの人に、声とか、ダメっぽさが似てた。
職場のかわいい子を家に連れてくシーン、ズレズレでよかった。

2年くらい前のオーディトリウムかなんかのロジャーコーマン特集、
まったくいけなかったのがいまになって無念。


2014年11月10日月曜日

没後30年フランソワ・トリュフォー映画祭

パス買って日参!もう毎日が幸せでワクワクで、うれしかった。
あとから振り返ったとき、私にとって2014年10月は、
フォーシーズンズにとっての1963年12月と同様に、
キラキラと忘れがたいものになるでしょう。うふ。連日がOh what a night!!!!!

トリュフォーの映画を初めて見たときのことをけっこう鮮明に覚えていて、
あれは18歳になる数日前、日比谷シャンテで『大人は判ってくれない』。
これがなければのちの映画館生活はなかったかもしれないし、
すくなくとも仏文科に入ろうという発想はそれまで皆無だったので、
自分のなかでトリュフォーはやっぱ特別。すっごい特別!

ハタチくらいまでにいろいろ見てそれから見直してない作品も多数。
とりあえず映画祭が始まる前のトップスリーは、順不同で
『アメリカの夜』
『恋のエチュード』
『夜霧の恋人たち』
このへん。
何か変動はあるかしら?ってことで、わくわくスタート~~~。

(どういう形で記事にしようか迷ったけど、見た順に一言ずつ感想を!)


『大人は判ってくれない』1959年
一度見たら決して忘れられないショットが多すぎる。いまなお鮮烈。
アンリ・ドカの「生け捕りっぷり」と、息せき切ったつんのめり感にひたすら瞠目。
これがトリュフォーの最高傑作。

『アントワーヌとコレット』1962年
短いけど、その後のアントワーヌ・ドワネル像を決定づけた作品だと思う。
あの素っ頓狂な雰囲気とか!
コレット宅の目の前に引っ越してくるとこがキーで、最高にオカしいんだけど、かわいそう。

『夜霧の恋人たち』1968年
ドワネル=レオーさんが最も自由闊達に泳ぎまわってる感じで、これが一番好き!
プ・ヌ・マ・ティッック!!!洒落っ気と顔芸に満ちた一本。
飄然、軽妙、なりふりかまわないロマンチック。これがトリュフォーの最高傑作。

『家庭』1970年
これまで元気いっぱいだったドワネルさんが大人になっちゃって、ちょっとさみしい。
とはいえ、転職してナゾの業務に従事するのとか、やっぱユーモラス。(終日ラジコン)
クリスチーヌがタクシーで去る前後一連のシーン、せつなすぎてぐれそう。

『逃げ去る恋』1979年
とってつけたような終幕なんて言わせないっ。
レオーさんはこれが最後のトリュフォー作品出演になってしまったけど、
恋のエチュードやアメリカの夜では封印されてた「走るレオー」の復活に大拍手。

『トリュフォーの思春期』1976年
奇跡の一本。グレゴリー坊やは天使。
やっぱ愛されることを渇望してたトリュフォー少年が、
オッサンになって愛する側にまわれたからこそ撮れたのだと思う。大好き!!!
余談だけどフランスの小学校では、授業中に先生の関係者がフラっと入って来るのかな。
シャブロル『肉屋』でも、エレーヌに突然肉を持ってきたし。ポポール。
この映画でも先生の妻が雑用でフラっとやってきて、チューして帰っていきました。

『あこがれ』1957年
ベルナデットラフォンはヒラヒラでキラキラ。ジェラールブランは若い、チョットうざい!
少年たちのガンマンごっこに心乱される。好き!

『ピアニストを撃て』1960年
どっかズッコケたような、なんだかヘンテコな印象が、初めて見たときよりも引っかかった。
でもそこがいい。あのギャグっぽい歌もその印象を強めてるのかも。ともあれ才気煥発。
これを見たときはまだ、マリー・デュボワさんは生きてたのに。

『突然炎のごとく』1961年
ジャンヌモローが劇中で歌う「つむじ風」が、
もう彼女の生き急いでる感じを至高の美しさで表していて、涙なくして見られない。
けど、生き残ったからといって勝者になるとは限らない。ね。
これがトリュフォーの最高傑作。と同時にジャンヌモローのベストアクト。

『柔らかい肌』1964年
誰もがドルレアックに狂わずにはいられない作品。
ドルレアックの部屋にドサイーが入ってって、電気つけて、消して・・・の一連の流れ!!
美しい台詞を書くかと思いきや、重要なとこをセリフなしでやってのけるトリュフォーよ。

『華氏451』1966年
失敗作として名高いしやっぱ何かが歪んでる、けど断固肯定するし大好き。
「本を禁じられるなら、全部覚えてしまえばいい」という逃避の姿勢がせつない。。
アルドリッチのように、クサった世界に独自のルールで立ち向かうのではなくて、
なんかもう渾身の愛を抱えて逃げて狂ってく感じ。

『終電車』1980年
アルメンドロスの偉業!!ロウソクやランプの光の美しさに心奪われっぱなし。
室内を撮らせたらピカイチ。
「こもって身動きがとれない男」というのも、トリュフォー的なテーマのひとつかも。
ふられ続けるドパルデュー(元グランギニョル役者!)にうすら笑い。あはっ!
余談だけどモンマルトル墓地のトリュフォーの墓に行ったとき、
墓石の上にメトロの切符がたくさん置いてあって、なにこれーと思いつつ私も置いてきた。
という話を人にしたら、「終電車と関係あるんじゃない?」と!なんと!
原題も終電車、ル・デルニエ・メトロ(LE DERNIER METRO)だ!
事実はしらないけど自分のなかでは腑に落ちて、その説を採用。わーっ。

『暗くなるまでこの恋を』1969年
終電車の翌日に見たから気づいたんだけど、
ドヌーヴがベルモンドに言うのとまったく同じ台詞を、終電車ではまったく同じ構図で、
ドヌーヴがドパルデューに言ってた。これはリベンジ?
ベルモンドがあきらかにミスキャストだしなんかギクシャクしたトーンの風変わり作品。

『恋愛日記』1977年
邦題聞くとなんとなく楽しそうな、ウキウキの感じだけど、
実際は「恋しないと死んじゃう!!!!!!」みたいな切羽詰まり過ぎの、悲痛な作品。
デネルの職業は家庭のドワネルの系譜で、ちょっとフザけてるみたい。
そういうとこで、成熟しなさみたいものをペロっと描いてるっぽい。

『黒衣の花嫁』1968年
今回初めて見て、ちんちくりんのジャンヌモローにもビックリしたし、
何かがズレてる・・・現実の人生に即していないから?
デネルさんはなんかヘンタイ演技がハマってて、よかった。

『野性の少年』1970年
もう今回一番の衝撃がこれっ。5年ぶりくらいに見たら、あまりにも素晴らしかった。
愛によって啓蒙する。自分の眼で見て、自分の耳で聴く「人間」になるために。
人生はつらいけど美しい、っていう、トリュフォーの思春期の先生のスピーチもおんなじだ。
ジャンピエールレオーに捧ぐっていうのがまた泣ける。これがトリュフォーの最高傑作。

『緑色の部屋』1978年
これまたアルメンドロスの偉業。
文字通り死ぬほどの誠実さで、過去の声に耳をかたむける、って、
これもトリュフォーの標榜してることのひとつだなぁ。華氏451のテーマと通底。
美しく死ぬために美しく生きる。

『アメリカの夜』1973年
キレイゴトでもかまわない、これだけの大きな愛にふちどられてるなら!!!
ジャクリーンビセットは女神だし、ナタリーバイが超絶いい。好き過ぎる。
ドルリューによるあのテーマ、もう条件反射で心がときめいてざわめいて。。
これがトリュフォーの最高傑作。
ちなみにジャクリーンビセットとジャンピエールレオーとベルナールメネズは同いどし!

『日曜日が待ち遠しい!』1983年
ドランくんのようなホントの若者にも決して撮れないこの若さ、素朴さ、可愛らしさよ。
キラッキラ。こんな作品を残してってくれたトリュフォーが好き過ぎる。いとおしい。

『恋のエチュード』1971年
これがトリュフォーの最高傑作。号泣。
おもしろいセックスやドキドキするセックスのシーンはあるけれど、
こんなに涙がとまらないセックスシーンは他に類をみないと思う。
優美で残酷で、やっぱり恋しなきゃ死んじゃう病。


(パスをもってしても『隣の女』『私のように美しい娘』『アデルの恋の物語』は行けなくて、
 無念っ。
 DVDで見て2014年じゅうにコンプリートしよー)
でもパスのおかげで、いくつかの作品はおかわりもできたので本当に買ってよかったっ。


20作品を終えてみて、私はトリュフォーの、
死ぬほどの誠実さ。
手紙狂いっぷり。
ここらへんにすごい心惹かれてることを再認識!
私もことあるごとにお手紙を書きたい、できることならたくさんの人と文通をしたい派なので。
やっぱそこらへんも、心にグッとくるものがあった。

いびつな作品はあっても、誠実じゃない作品は一個もなかった。
親密に、やさしく語りかけてくれた。

そして、連日の大盛況。いくつかの作品では満席も。
大勢で見るトリュフォー、幸せでした。

私の目の前をとおってったジャンピエールレオーさん、
来てくれて本当に本当に・・・こんな幸せが平成日本に許されていいものか!
いいよね。みんなで享受した。
ありがとうございました。
大人は判ってくれないの後に入場してきたレオーさんの、
会場をみまわしてなんだか感嘆したような(しらないけど)あの瞳、
もう本当に胸がいっぱいになって涙出てきちゃった。
私は生き残るかもわからないし勝者になるかもわからないけど、
幸せ。

2014年10月19日日曜日

『光る眼』

☆ジョン・カーペンター監督/1995年/アメリカ

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆怖い映画について書いてみよう第8弾☆はやくも最終回!


カーペンター崇拝者のお友達が、
「全身の体液がダダ漏れるほどおもしろい」とかってオススメしてくれたのでいそいそレンタル。
ダダ漏れたい!


カリフォルニアのとある村で、住人たちが一斉に気を失う。
そのあと一斉に意識回復すると、女性たちは全員、妊娠していた。
そんな怪現象を経て同時期に生まれてきた子供たちは全員銀髪、
気に入らないことがあると眼を光らせて邪魔者を排除するおそろしい子たち。
村の人たちは見るにみかねて・・・というお話。


・・・ダダ漏れず!

ごく個人的な事情だけど、最愛のお友達の出産直後にこれを見たので
とっても気分&機嫌が悪くなった!
いやな話!
ほとぼりがさめたら1960年版とともにもっかい見るわっ。

見どころは、一斉に気を失ったときのバーベキューおじさん?
不気味な想像力が光ってた。


カーペンターさんの映画はまだまだ見てないのも多いけど、
暫定的にはゴーストオブマーズとゼイリブが抜きんでて好き。
このまえに記事書いたザウォードも、けっこう怖かったけどおもしろかった!
ホラー映画の活路をなんとなーくカーペンターさんに見出したところで、
怖い映画について書いてみる連投はおしまい。
ホラー/非ホラーの境界はよくわからないまま。
まぁ、定義としてのジャンル分けにはそもそも興味もないしね(元も子もない)。
おもしろければなんでも良い。
ぞうもつ系の映画を荒療治のように見たりは決してしたくないけど、
何かおもしろいものを探していくなかで、
今後どっかで接点を持つ日も来るかもしれない。
あまり期待せずに、でもオープンマインドで過ごしてゆきたいものです。

『吸血鬼』

☆カール・ドライヤー監督/1932年/フランス、ドイツ

☆見るの・・・2回め

☆見た場所・・・自宅(地元ツタヤレンタル)

☆怖い映画について書いてみよう第7弾☆


この映画を見て発狂した人とかいるだろうね。


初めて見たのは4年前の夏の夜、ヴェーラのクラシック特集。忘れもしない・・・
帰途、あんなにビクビクと夜道を歩いたことはないってくらい、
見たあともずっと恐怖にとらわれて。
数日間は仰向けで寝れない症候群に陥った。

そんな怖い思いしたのに「もう一生見るまい」とはならなくて、
なんか惹きつけられるものがあって4年ぶりに鑑賞。いやはや・・・


やっぱり、人生で出会ったなかで暫定ベスト怖い映画だと思った・・・
あまりに怖くて説明できないけど・・・

本体と違う動きをする影が怖い。
とりつかれてしゃくれる女の子が怖い。
そして何より、何よりももう!!!!!死者による主観ショットが怖過ぎる。
ドライヤーのあの感覚!狂ってる。
仰向けで寝れなくなるよあれは。

それでもまたスクリーンにかかる日があれば、私は見に行くでしょう。
濃密、陰鬱、夢幻、映画そのもの。




怖いから動画貼るの止しとこう。