2014年7月3日木曜日

『地獄でなぜ悪い』

☆園子温監督/2013年/日本

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(地元ツタヤレンタル)

☆なぜ見たか・・・準新作100円だったので、出来心で


出来心というか。。
私はこれまでに園子温作品を『愛のむきだし』しか見たことなくて、
でも、絶対にそんなみんなホメるほど大したものではない、と確信していたんです。
さりとてたった一作見ただけでおおっぴらに貶すのもなーと思って、黙ってた。
で、もう一作くらい見たらもう少し釈然とするのではないか、と思って借りてみた次第。

基本的に私は映画の悪口を言わないけど、今回は例外。
誰も読んでないと思うので好き放題書くっ。


映画的センスの致命的欠如。
映画に対する浅薄きわまりない姿勢。
映画に誠実でない。(これが最大のネック?)

これ(映画に誠実でない点)は園さんに限ったことではなくて、
たとえば中島哲也なんかもそうでしょう。
嫌われ松子と告白を見たけど、ヒドいものでしたね。
渇きは予告編見た時点でダメさが伝わってきた(見てないから悪口いわないけど)。
あと昨年見た恋の渦なんかも映画として全く成立していない愚の骨頂的なもので、
こんなのをもてはやす人が多少なりとも居るなんてもう、
映画崩壊前夜とはこのことだと思った。


地獄でなぜ悪い。
これは映画作りの映画で、長谷川博己演じる映画監督志望の青年が
「腐った映画が多すぎる!俺は最高の映画を撮ってやるんだ!
 映画の神よ、よろしく頼みます」かなんかいうんだけど、失笑だね。
園子温にとって腐った映画とはなんなのか?映画の神とはなんなのか?
たぶんなんも考えてない。
この作品が腐っていないと言える根拠はどこにもないし、
映画の神とやらの力は借りられなかったらしい不幸な作品だよ。

そして園子温、人物を意図的に醜く撮ってるとしか思えないほど、
全役者に魅力が無い。
二階堂ふみなんかも絶句しちゃうほどダサい服着させられてかわいそう。
長谷川さん率いる映画集団の脇役の子たちなんてとてつもなくてきとうな描かれ方で、
監督から脇役へ微塵の愛も感じない。
役者たちは眼を白黒させて大声をあげるのが「熱演」だと信じているかのようで、
見ていられない。
興醒めもはなはだしく、なんのエモーションも生まれてこない。

また、困ったらスローモーション使おうみたいな浅薄さも許しがたいものがあって、
あまりのダサさと冗長さに私の眉間には無数のしわが・・・!
ただでさえ長い(130分)のに。

長尺になっちゃうのは、ただただ脚本がヒドいというのもあるだろうね。
物事と物事のあいだに関連性を生み出せず、すべてが無理矢理の展開。
(星野源と長谷川博己が出会うきっかけになるとこの展開とか、
 ヘタすぎて私は嘔吐しそうになった)
その無理矢理をねじ伏せる演出力が決定的に無い。


これらすべては、
園子温自身があまり映画を信じていない。
映画に対する誠実さの欠如。
・・・に起因するのではないかと思った。
映画じゃなくてもこの人はいいみたいだから。


あと言いたいのは、私はフォルムのヒドさに言及していて、
あらすじのヒドさとは言っていないということ。
どんなあらすじでも面白い人が撮れば面白くなると思う。

というのは私はジョン・ウォーターズ監督作品、
セシルBとかクライベイビーとか好きで。
ピンクフラミンゴはビビッて見れない不届き者ながら、
ジョン・ウォーターズ監督作品にはたしかに愛と節度があると思ってる。
フォルムはちゃんとしているし、
ダーティシェイムのようなとんでもない内容の作品でも誠実さは感じる。
映画として浅はかではない。

だからつまり園子温のまずさというのは、見せかけのインパクトがすべてで、
映画的興奮、しびれるようなエモーションとかが皆無なところ。
と私は考えます。

でも映画をあまり見ない人とか映画以外のものを信じてる人とかは、
このインパクトにだまされて、才薄き園子温に加担してしまうのだろうと思う。
才薄き中島哲也に。恋の渦に。


なんか私はこの浅薄さというのが、
誰かを傷つけるものに結び付いているような気がしてならないの。
大げさな意見でしょうけど。
ネットの世界で誰かを傷つける浅薄さと同質なものな気がしてならない。


だから私は、浅薄映画には断固ノーを言って、袂を分かつことにしたい。
誠実に作られたものを見ていたい。

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