2014年10月19日日曜日

『顔のない眼』

☆ジョルジュ・フランジュ監督/1960年/フランス

☆見るの・・・2回め

☆見た場所・・・自宅(地元ツタヤレンタル)

☆怖い映画について書いてみよう第1弾☆


夏のあいだに怖い映画いっぱい見ていっぱい書こうと思ってたのに、
結果的に全く見ないままもう寒い季節。
またホラーに向き合わない夏が終わった。むしろバスターキートンばっか見てた。

私は本当にホラー映画とかほぼ見たことがないんだけど、
その理由は「怖いから」で、何が怖いかというと、
オバケ。オバケでなくともグロテスクな容貌をした人は全部怖い。
あと、ぞうもつが飛び出したり、あのスミっこになんか居る・・・みたいのが怖い。

でもオバケが出てないホラー映画もたくさんあるでしょう。
ぞうもつが飛び出さないホラー映画もたくさんある。
って考えると、何を以って「ホラー映画」なの?
怖いと思ったらホラー映画?(被害者がセクハラと思ったらセクハラみたいな)
でもヒッチ先生の映画って、怖いけどホラーではなくてサスペンス、ですよね。

とか考えてたらもう、混乱におちいって、
とりあえず直近1年くらいに見たけどまだ記事を書いていない
「怖いけどサスペンスじゃない映画」をチラホラ書いてみることに。

第1弾はこれ。

顔のない眼・・・(原題も同じ意味)
眼のない顔ならいざ知らず・・・

「怖さ」、「美しさ」、「哀しさ」が完ぺきなバランスで同時に存在している。
もうこの不思議な魅力はほかに見たことがないし、説明もできない。
本当におどろおどろしくて恐ろしいのに、ラストは美しさに陶然。
なんていうの?ポエジー?
皮膚はがすシーンなんてもう凄い。見せるようで見せない、見せないようで見せる。
カメラマン(オイゲン・シュフタン)の至芸!

またそれぞれの「顔」が。顔がもう。
主な登場人物は外科医(ピエール・ブラッスール)、その助手(アリダ・ヴァリ)、
そして外科医の娘(エディット・スコブ)。

外科医の娘は事故により顔に甚大なる損傷を受けて、
ふだんはマスクで傷を隠して、森の奥のお屋敷でヒッソリ暮らしてる。

(マスク姿、かとうあいさんに似てる)
外科医はそんな娘の顔を治そうと、
そこら辺に居る女の子をつかまえてきて顔の皮膚をひっぺがし、
娘の顔に移植を試みる。

手術は一見成功したかに見えて、仮面をはずしたエディット・スコブの顔も見られます。
なんとなく浮世ばなれしたような、焦点の合わない眼つき・・・
かわいらしいのに、仮面を取ってもなお怖い・・・

外科医のおっかなさも相当のもので、
この手術、娘のためってよりも実験したいがために見えて仕方ない。
手術後、徐々に再び崩れゆく娘の顔に嫌悪すらにじませる彼の残忍さよ。

そんな彼の「共犯者」アリダ・ヴァリはただただ禍々しい。
顔の密度凄い。


かわいそうな、連れてこられた女の子。
気絶状態からぼんやりと目をさますと横に居たのは・・・・・・
ここら辺の画面のぼかしかたとか本当恐ろしい。


そしてあの忘れがたいラストシーン。ハトと森と顔のない眼。
どこに行くんだろう、この先どうなるんだろう・・・
究極の宙づり状態で映画は終わる。
まるで、まだどっかの森で仮面をつけた少女が徘徊しているかのような錯覚に陥る。

けど大丈夫。
彼女はいまや「オスカー氏」なる人物のリムジン運転手をしているのです!
なんてネ。


0 件のコメント:

コメントを投稿