2014年11月10日月曜日

没後30年フランソワ・トリュフォー映画祭

パス買って日参!もう毎日が幸せでワクワクで、うれしかった。
あとから振り返ったとき、私にとって2014年10月は、
フォーシーズンズにとっての1963年12月と同様に、
キラキラと忘れがたいものになるでしょう。うふ。連日がOh what a night!!!!!

トリュフォーの映画を初めて見たときのことをけっこう鮮明に覚えていて、
あれは18歳になる数日前、日比谷シャンテで『大人は判ってくれない』。
これがなければのちの映画館生活はなかったかもしれないし、
すくなくとも仏文科に入ろうという発想はそれまで皆無だったので、
自分のなかでトリュフォーはやっぱ特別。すっごい特別!

ハタチくらいまでにいろいろ見てそれから見直してない作品も多数。
とりあえず映画祭が始まる前のトップスリーは、順不同で
『アメリカの夜』
『恋のエチュード』
『夜霧の恋人たち』
このへん。
何か変動はあるかしら?ってことで、わくわくスタート~~~。

(どういう形で記事にしようか迷ったけど、見た順に一言ずつ感想を!)


『大人は判ってくれない』1959年
一度見たら決して忘れられないショットが多すぎる。いまなお鮮烈。
アンリ・ドカの「生け捕りっぷり」と、息せき切ったつんのめり感にひたすら瞠目。
これがトリュフォーの最高傑作。

『アントワーヌとコレット』1962年
短いけど、その後のアントワーヌ・ドワネル像を決定づけた作品だと思う。
あの素っ頓狂な雰囲気とか!
コレット宅の目の前に引っ越してくるとこがキーで、最高にオカしいんだけど、かわいそう。

『夜霧の恋人たち』1968年
ドワネル=レオーさんが最も自由闊達に泳ぎまわってる感じで、これが一番好き!
プ・ヌ・マ・ティッック!!!洒落っ気と顔芸に満ちた一本。
飄然、軽妙、なりふりかまわないロマンチック。これがトリュフォーの最高傑作。

『家庭』1970年
これまで元気いっぱいだったドワネルさんが大人になっちゃって、ちょっとさみしい。
とはいえ、転職してナゾの業務に従事するのとか、やっぱユーモラス。(終日ラジコン)
クリスチーヌがタクシーで去る前後一連のシーン、せつなすぎてぐれそう。

『逃げ去る恋』1979年
とってつけたような終幕なんて言わせないっ。
レオーさんはこれが最後のトリュフォー作品出演になってしまったけど、
恋のエチュードやアメリカの夜では封印されてた「走るレオー」の復活に大拍手。

『トリュフォーの思春期』1976年
奇跡の一本。グレゴリー坊やは天使。
やっぱ愛されることを渇望してたトリュフォー少年が、
オッサンになって愛する側にまわれたからこそ撮れたのだと思う。大好き!!!
余談だけどフランスの小学校では、授業中に先生の関係者がフラっと入って来るのかな。
シャブロル『肉屋』でも、エレーヌに突然肉を持ってきたし。ポポール。
この映画でも先生の妻が雑用でフラっとやってきて、チューして帰っていきました。

『あこがれ』1957年
ベルナデットラフォンはヒラヒラでキラキラ。ジェラールブランは若い、チョットうざい!
少年たちのガンマンごっこに心乱される。好き!

『ピアニストを撃て』1960年
どっかズッコケたような、なんだかヘンテコな印象が、初めて見たときよりも引っかかった。
でもそこがいい。あのギャグっぽい歌もその印象を強めてるのかも。ともあれ才気煥発。
これを見たときはまだ、マリー・デュボワさんは生きてたのに。

『突然炎のごとく』1961年
ジャンヌモローが劇中で歌う「つむじ風」が、
もう彼女の生き急いでる感じを至高の美しさで表していて、涙なくして見られない。
けど、生き残ったからといって勝者になるとは限らない。ね。
これがトリュフォーの最高傑作。と同時にジャンヌモローのベストアクト。

『柔らかい肌』1964年
誰もがドルレアックに狂わずにはいられない作品。
ドルレアックの部屋にドサイーが入ってって、電気つけて、消して・・・の一連の流れ!!
美しい台詞を書くかと思いきや、重要なとこをセリフなしでやってのけるトリュフォーよ。

『華氏451』1966年
失敗作として名高いしやっぱ何かが歪んでる、けど断固肯定するし大好き。
「本を禁じられるなら、全部覚えてしまえばいい」という逃避の姿勢がせつない。。
アルドリッチのように、クサった世界に独自のルールで立ち向かうのではなくて、
なんかもう渾身の愛を抱えて逃げて狂ってく感じ。

『終電車』1980年
アルメンドロスの偉業!!ロウソクやランプの光の美しさに心奪われっぱなし。
室内を撮らせたらピカイチ。
「こもって身動きがとれない男」というのも、トリュフォー的なテーマのひとつかも。
ふられ続けるドパルデュー(元グランギニョル役者!)にうすら笑い。あはっ!
余談だけどモンマルトル墓地のトリュフォーの墓に行ったとき、
墓石の上にメトロの切符がたくさん置いてあって、なにこれーと思いつつ私も置いてきた。
という話を人にしたら、「終電車と関係あるんじゃない?」と!なんと!
原題も終電車、ル・デルニエ・メトロ(LE DERNIER METRO)だ!
事実はしらないけど自分のなかでは腑に落ちて、その説を採用。わーっ。

『暗くなるまでこの恋を』1969年
終電車の翌日に見たから気づいたんだけど、
ドヌーヴがベルモンドに言うのとまったく同じ台詞を、終電車ではまったく同じ構図で、
ドヌーヴがドパルデューに言ってた。これはリベンジ?
ベルモンドがあきらかにミスキャストだしなんかギクシャクしたトーンの風変わり作品。

『恋愛日記』1977年
邦題聞くとなんとなく楽しそうな、ウキウキの感じだけど、
実際は「恋しないと死んじゃう!!!!!!」みたいな切羽詰まり過ぎの、悲痛な作品。
デネルの職業は家庭のドワネルの系譜で、ちょっとフザけてるみたい。
そういうとこで、成熟しなさみたいものをペロっと描いてるっぽい。

『黒衣の花嫁』1968年
今回初めて見て、ちんちくりんのジャンヌモローにもビックリしたし、
何かがズレてる・・・現実の人生に即していないから?
デネルさんはなんかヘンタイ演技がハマってて、よかった。

『野性の少年』1970年
もう今回一番の衝撃がこれっ。5年ぶりくらいに見たら、あまりにも素晴らしかった。
愛によって啓蒙する。自分の眼で見て、自分の耳で聴く「人間」になるために。
人生はつらいけど美しい、っていう、トリュフォーの思春期の先生のスピーチもおんなじだ。
ジャンピエールレオーに捧ぐっていうのがまた泣ける。これがトリュフォーの最高傑作。

『緑色の部屋』1978年
これまたアルメンドロスの偉業。
文字通り死ぬほどの誠実さで、過去の声に耳をかたむける、って、
これもトリュフォーの標榜してることのひとつだなぁ。華氏451のテーマと通底。
美しく死ぬために美しく生きる。

『アメリカの夜』1973年
キレイゴトでもかまわない、これだけの大きな愛にふちどられてるなら!!!
ジャクリーンビセットは女神だし、ナタリーバイが超絶いい。好き過ぎる。
ドルリューによるあのテーマ、もう条件反射で心がときめいてざわめいて。。
これがトリュフォーの最高傑作。
ちなみにジャクリーンビセットとジャンピエールレオーとベルナールメネズは同いどし!

『日曜日が待ち遠しい!』1983年
ドランくんのようなホントの若者にも決して撮れないこの若さ、素朴さ、可愛らしさよ。
キラッキラ。こんな作品を残してってくれたトリュフォーが好き過ぎる。いとおしい。

『恋のエチュード』1971年
これがトリュフォーの最高傑作。号泣。
おもしろいセックスやドキドキするセックスのシーンはあるけれど、
こんなに涙がとまらないセックスシーンは他に類をみないと思う。
優美で残酷で、やっぱり恋しなきゃ死んじゃう病。


(パスをもってしても『隣の女』『私のように美しい娘』『アデルの恋の物語』は行けなくて、
 無念っ。
 DVDで見て2014年じゅうにコンプリートしよー)
でもパスのおかげで、いくつかの作品はおかわりもできたので本当に買ってよかったっ。


20作品を終えてみて、私はトリュフォーの、
死ぬほどの誠実さ。
手紙狂いっぷり。
ここらへんにすごい心惹かれてることを再認識!
私もことあるごとにお手紙を書きたい、できることならたくさんの人と文通をしたい派なので。
やっぱそこらへんも、心にグッとくるものがあった。

いびつな作品はあっても、誠実じゃない作品は一個もなかった。
親密に、やさしく語りかけてくれた。

そして、連日の大盛況。いくつかの作品では満席も。
大勢で見るトリュフォー、幸せでした。

私の目の前をとおってったジャンピエールレオーさん、
来てくれて本当に本当に・・・こんな幸せが平成日本に許されていいものか!
いいよね。みんなで享受した。
ありがとうございました。
大人は判ってくれないの後に入場してきたレオーさんの、
会場をみまわしてなんだか感嘆したような(しらないけど)あの瞳、
もう本当に胸がいっぱいになって涙出てきちゃった。
私は生き残るかもわからないし勝者になるかもわからないけど、
幸せ。

2014年10月19日日曜日

『光る眼』

☆ジョン・カーペンター監督/1995年/アメリカ

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆怖い映画について書いてみよう第8弾☆はやくも最終回!


カーペンター崇拝者のお友達が、
「全身の体液がダダ漏れるほどおもしろい」とかってオススメしてくれたのでいそいそレンタル。
ダダ漏れたい!


カリフォルニアのとある村で、住人たちが一斉に気を失う。
そのあと一斉に意識回復すると、女性たちは全員、妊娠していた。
そんな怪現象を経て同時期に生まれてきた子供たちは全員銀髪、
気に入らないことがあると眼を光らせて邪魔者を排除するおそろしい子たち。
村の人たちは見るにみかねて・・・というお話。


・・・ダダ漏れず!

ごく個人的な事情だけど、最愛のお友達の出産直後にこれを見たので
とっても気分&機嫌が悪くなった!
いやな話!
ほとぼりがさめたら1960年版とともにもっかい見るわっ。

見どころは、一斉に気を失ったときのバーベキューおじさん?
不気味な想像力が光ってた。


カーペンターさんの映画はまだまだ見てないのも多いけど、
暫定的にはゴーストオブマーズとゼイリブが抜きんでて好き。
このまえに記事書いたザウォードも、けっこう怖かったけどおもしろかった!
ホラー映画の活路をなんとなーくカーペンターさんに見出したところで、
怖い映画について書いてみる連投はおしまい。
ホラー/非ホラーの境界はよくわからないまま。
まぁ、定義としてのジャンル分けにはそもそも興味もないしね(元も子もない)。
おもしろければなんでも良い。
ぞうもつ系の映画を荒療治のように見たりは決してしたくないけど、
何かおもしろいものを探していくなかで、
今後どっかで接点を持つ日も来るかもしれない。
あまり期待せずに、でもオープンマインドで過ごしてゆきたいものです。

『吸血鬼』

☆カール・ドライヤー監督/1932年/フランス、ドイツ

☆見るの・・・2回め

☆見た場所・・・自宅(地元ツタヤレンタル)

☆怖い映画について書いてみよう第7弾☆


この映画を見て発狂した人とかいるだろうね。


初めて見たのは4年前の夏の夜、ヴェーラのクラシック特集。忘れもしない・・・
帰途、あんなにビクビクと夜道を歩いたことはないってくらい、
見たあともずっと恐怖にとらわれて。
数日間は仰向けで寝れない症候群に陥った。

そんな怖い思いしたのに「もう一生見るまい」とはならなくて、
なんか惹きつけられるものがあって4年ぶりに鑑賞。いやはや・・・


やっぱり、人生で出会ったなかで暫定ベスト怖い映画だと思った・・・
あまりに怖くて説明できないけど・・・

本体と違う動きをする影が怖い。
とりつかれてしゃくれる女の子が怖い。
そして何より、何よりももう!!!!!死者による主観ショットが怖過ぎる。
ドライヤーのあの感覚!狂ってる。
仰向けで寝れなくなるよあれは。

それでもまたスクリーンにかかる日があれば、私は見に行くでしょう。
濃密、陰鬱、夢幻、映画そのもの。




怖いから動画貼るの止しとこう。

『吸血鬼ボボラカ』

☆マーク・ロブソン監督/1945年/アメリカ

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(DVD購入した)

☆怖い映画について書いてみよう第6弾☆


なんかしらないけどボリスカーロフさんの顔を見たくてたまらない時期があった。
顔も見たいし、あの低い声とエラそうな喋りかたで脅されたい、と。
そんで、自分のなかのカーロフブームがほどよく下火になった矢先に、
アメリカンホラーフィルムコレクションみたいな感じで今月新たに出演作がいくつか発売され、
欲しい。。。。。。。

そんな気分でボボラカ。
吸血鬼となったカーロフさんが夜ごと街に繰り出して美女を襲う・・・的なものではなくて、
なんなら吸血鬼でてこないからね。
原題は"Isle of the Dead" 死の孤島?
カーロフさんはイカレ気味の将軍の役。


冒頭、軍のキャンプ地みたいところで、ある兵士を罰するカーロフさん。
(別にたいしたことない、時間通りに動けなかったとかそんなくらいのことで)
カーロフさんはその兵士に黙って拳銃を指し示す、表情ひとつ変えず。
その人は拳銃を手に取ってテントの外へ行き、そこで画面外から銃声一発。
ようするに自害を促して、そいつも即座にそれに従ったということ。
カーロフさんの血も涙も無さを、こんな演出でスマートに見せている。

今回はパーマ気味。


この作品ではカーロフさんの、人をナメくさったような話し方が満喫できる。
もうアイポッドに入れて聴いてたい。
どこ行って何をしててもエラそうなカーロフさん、
そんな彼が徐々に妄想にとりつかれて異常になっていく様子を、
わりあいに静かに描いてる。

しかし今回のカーロフさんは、残忍とかってよりはただただ陰湿で、
自分にワインを注いでくれなかった女の子に目をつけ執拗に恨んだり、
もう、メンドい。
孤島から疫病を持ち出さないために自分を含む全員に島を出ることを禁じる、
それが、正義感から言ってるというよりはなんか島を出たがってるカップルへの嫌がらせ、
当てつけのように見えて仕方なくて、イヤ~~~な感じ。

全体的に怖さはあまりなかったけど、
棺桶に入れられた人が微妙に動いたのには参りました・・・

ボボラカっていう響きもナイス。


いろいろ画像見てたら、こんなヴァルリュートンコレクション発見!
かっこいい!!
http://www.freecodesource.com/movie-posters/B000A0GOEQ--the-val-lewton-horror-collection-(cat-people-the-curse-of-the-cat-people-i-walked-with-a-zombie-the-body-snatcher-isle-of-the-dead-bedlam-the-leopard-man-the-ghost-ship-the-seventh-victim-shadows-in-the-dark)-movie-poster.html

『死体を売る男』

☆ロバート・ワイズ監督/1945年/アメリカ

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(DVD購入した)

☆怖い映画について書いてみよう第5弾☆


これはすごい!カーロフ大ハッスル!

顔も怖いんだけど、手の異様なデカさも怖さの一端を担ってることに気づいた。
このポスター作った人もそこら辺をよーくわかってる!ね!

眉ひとつ動かさず殺人をおこなうカーロフさん。
あんな方法の殺しがサマになるってあなた・・・恐ろしい。
緩慢な動きで人を恐怖に陥れることにかけて、この人の右に出る者無し。

あとこの作品では、謎の七三分け。
髪ツヤッツヤ!


演出もシャープで、でも不思議な浮遊感が随所にあってかっこよい!
序盤からさりげない存在感をはなつストリートシンガー(?)が
カーロフさんの魔の手にかかる瞬間の戦慄よ。
死体すら見せず、むしろカーロフさんの顔面すら映さず恐怖の演出をしていて、あっぱれ。
静かに、だからこそよけい不気味に恐怖をあおる。

また、ベラルゴシさんは出演時間はそんな多くないものの、
一筋縄ではいかない小悪党を嬉々として演じてる感。
この作品に奇妙な味付けをシッカリほどこしてる。


ミイラ取りがミイラに・・・というか、悪事に手を染めずにいられない人間、というか、
ストーリーもおもしろいもんでした。
買ってよかった。(紀伊國屋で1000円、おすすめ)


しかしカーロフさんは、こんな役ばっかやらされてどういう気持ちなんだろうね。
ギャングマンとかサディスティックな支配者なんかはまだ良いほうで、
死体を売るだの冷凍人間よみがえるだのフランケンの怪物だの再生するミイラだの・・・
なんか、物凄い周りにしたわれてる役とかやりたかったりするのかな?
(シュガーラッシュ的発想)
洋書だと彼の関連書籍たくさーん出てるんですね。読んでみたい。。

『ミイラ再生』

☆カール・フロイント監督/1932年/アメリカ

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆怖い映画について書いてみよう第4弾☆


わっ!カーロフさんが愛の言葉をささやいてるとこ、初めて見た・・・!

彼が今回演じるのは、数千年のときを経てミイラから人間に再生した男。
仮名アーダス・ベイ、本名イムホテップ。

もうイムホテップとかいうよくわからん名前からして不気味。
長い布みたいのをダラーンと着用してるのも不審。
途中で3回ほど大写しになる、しわっしわの顔面の強度たるや・・・
スクリーンで見たらのけぞりそう。
(昨年末のヴェーラのクラシックスでかかってましたよね、見逃したーーー)

いいね。いい顔面。

カーロフさんはだいたい何をやってもハマり役に見えるけど、今回もしかり。
再生するミイラがハマり役、という稀有さよ。

その、再生の場面なんかも、手がゆっくり近づいてくる描写とか怖くて巧くて。
そのあと狂いゆく学芸員の声をバックにボロボロの包帯が
スーーッ・・・と廊下に消えてくとこなんて、もうサイレント映画の呼吸。
このある種の緩慢さ(動作も喋りも)が、カーロフさんの味。

イムホテップはじつは数千年前、ファラオの娘と道ならぬ恋に走った結果、
生き埋めにされた高僧だった。
再生した彼は、こんどはその恋のお相手の子孫と結ばれるべくいろいろ手をまわす。

愛をささやいたのち女性の手にキッスするカーロフさん・・・
初めて見たっ。
女性のエキゾチックな雰囲気とあいまって妖しさたっぷり、ぞくぞくしちゃう。
数千年のときを超えた恋なんて、素敵じゃないですか!
純愛ものだよ。

だからラスト、風塵と化すイムホテップは、
不気味なだけでなく哀しくて。
フランケンの怪物もそうだけれど、カーロフさんはこういう、
「はぐれものの哀感」を秀逸に滲ませる。せつない。

ミイラの「粉っぽさ」というか「パサパサな感じ」というか、とにかく乾燥してる感じが
なんかリアリティをもって迫ってくる、怖い!!
顔がおっかないだけじゃなくて風格がある。そしてうまい。カーロフさんは。

『ザ・ウォード/監禁病棟』

☆ジョン・カーペンター監督/2011年/アメリカ

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(地元ツタヤレンタル)

☆怖い映画について書いてみよう第3弾☆


ジョンカーペンターフィルモグラフィーというウィキ項目(英語)見たら
なんかおもしろいことになってた。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Carpenter_filmography
Yesの嵐。
こっちはチェックの嵐。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Carpenter

ザ・ウォード/監禁病棟、カーペンター監督の一番最近の作品。


主演はアンバー・ハード!
ゾンビランドでジェシーくんを追いまわすゾンビの!
今回は逃げる側になりました。

何年か前に『主人公は僕だった』という映画があったようにおもうけど、
あれの逆ヴァージョンですね。
主人公は僕じゃなかった。(悲しい)

クリステン(アンバーハード)は急に精神病院に監禁される。
病棟には同年代の女の子がほかにも数人、仲良くしたりいがみあったりで暮らしてる。
なんで自分がココに・・・早く出してくれ、と医師に楯突くも、
病院以前のほぼすべての記憶を失っていることに気づいて愕然とするクリステン。
そんななか病棟の女の子たちが続々と消えてゆき、
アリスという名のおぞましき亡霊が台頭してくる・・・というお話。

(ひさしぶりにブログ書いたら要約が以前に増してド下手になってる・・・
 おぞましき亡霊の台頭って・・・)

でもほんとに台頭してくるんですよね、おぞましいアリスは。
最初のほうは気配だけチラつかせていたのに。
アリスさん、オバケにしては元気いっぱいで。
肉弾戦をもいとわないし、律儀に車椅子ひいたりもする。

姿勢の良いオバケ。
※顔の画像は、おぞましすぎて載せれなかった

次々とアリスに殺される女の子たちの、死体が出ないのも妙だなーと思ってた。
そしたら、あんなオチだったのね。
主人公は僕じゃなかったのね。
そうとわかったらなんかいろいろ伏線があったような気が、しなくもなくもない。。
そういえば変に小競り合ってたわ、病棟の女の子たち。

ホラー映画の決まりごとがわかってないので、
人によってはオチ読めましたゼ!ってなるんだろうけど。
私は全然。はっどういう意味?!ってなった。


でもオバケよりも怖かったのが、婦長。
見事な三白眼。
こういう怪しげな人物の配し方が混乱を生む。
良い者だか悪者だかわからない医師とかも、いい顔を見つけてくるね。


全体的にはアクション映画の趣で(アンバーさん凄い!!アクションスターみたいな精神疾患者)、
展開がサッサとしていて、精神病院の話なのに情緒を排したところがいい!
今まで一緒に頑張って逃げてたお友達がコンマ2秒くらいで急に死ぬとか、
もう感心。
しめっぽさなんか要らないカーペンター。

この'表向きの主人公'の命題は逃げなきゃ!ということに尽きるのでね、
そのシンプルさが、かえっていろんな楽しい演出を生むのかもしれない。
最後に急に説明的になるので混乱しちゃったけど。
そして、ラストカット・・・はは!!!

病棟の女の子たちのダンスシーンは、
もうこれだけ見るとなんかヌーヴェルヴァーグ作品のようじゃないですか。
ジョン・カーペンター監督に興味が尽きないわ。


『私はゾンビと歩いた!』

☆ジャック・ターナー監督/1943年/アメリカ

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆怖い映画について書いてみよう第2弾☆


題名がいい。原題はビックリマークなしのI walked with a zombie


ただここで言うゾンビとはいわゆるあの、お墓から出てきてボロボロで、
みたいのではなくて、
ブードゥー教の呪いをかけられて「生ける屍」と化した人のことをそう呼んでるんですね。
なのでぞうもつを食らう描写とかはナシ。


何かが起こりそうな予感に満ちた、冒頭のモノローグ。
(I walked with a zombie... と始まる)
その予感はどんどん不吉さの印象を強めて、最後まで画面に蔓延する。
影、影、影。影の見事さよ。
詩的ホラーとでもいうべき、甘美で濃密な雰囲気。


主人公の看護婦さんはインド諸島にあるお金持ちの家に派遣される。
そこへは船で向かうのだけど、
ゾンビよりよっぽど無気力に見える男がダメなお経みたいな歌を歌いながら、
果てしなく緩慢な挙措で舵輪を動かす。
68分と短尺ながら、こういう不穏さのちりばめかたが本当に巧い。

そして、ナースとゾンビの恐るべき邂逅!!!
このゾンビ役の人、ただボーっと歩いてるだけなのにこうも恐ろしいのは、
不自然なほど妖しい美人であること、つめたい表情と華奢さ、
そして布の無駄とも思えるほどひらひらしたネグリジェのせいでしょうか。
とにかく終始無言で、まさに生ける屍。

そして、ナースはゾンビの呪いを解くべく、ブードゥー総本家みたいなところへ向かう。
ここの演出も見事!
いつ終わるとも知れないその行程(藪みたいなところ)、
随所に謎の骨や祭祀用具っぽいオブジェが配されている。

左がゾンビ、右がナース。

ブードゥー教のタイコのリズムとか言語とか儀式とか、
そういう呪術的な奇怪さが終始まとわりつく。

終わらない悪夢のような映画で、なにもかもハッキリしない。
でも、それが恐ろしい。
いっそすべてクリアになればどんなに良いことか。


『顔のない眼』

☆ジョルジュ・フランジュ監督/1960年/フランス

☆見るの・・・2回め

☆見た場所・・・自宅(地元ツタヤレンタル)

☆怖い映画について書いてみよう第1弾☆


夏のあいだに怖い映画いっぱい見ていっぱい書こうと思ってたのに、
結果的に全く見ないままもう寒い季節。
またホラーに向き合わない夏が終わった。むしろバスターキートンばっか見てた。

私は本当にホラー映画とかほぼ見たことがないんだけど、
その理由は「怖いから」で、何が怖いかというと、
オバケ。オバケでなくともグロテスクな容貌をした人は全部怖い。
あと、ぞうもつが飛び出したり、あのスミっこになんか居る・・・みたいのが怖い。

でもオバケが出てないホラー映画もたくさんあるでしょう。
ぞうもつが飛び出さないホラー映画もたくさんある。
って考えると、何を以って「ホラー映画」なの?
怖いと思ったらホラー映画?(被害者がセクハラと思ったらセクハラみたいな)
でもヒッチ先生の映画って、怖いけどホラーではなくてサスペンス、ですよね。

とか考えてたらもう、混乱におちいって、
とりあえず直近1年くらいに見たけどまだ記事を書いていない
「怖いけどサスペンスじゃない映画」をチラホラ書いてみることに。

第1弾はこれ。

顔のない眼・・・(原題も同じ意味)
眼のない顔ならいざ知らず・・・

「怖さ」、「美しさ」、「哀しさ」が完ぺきなバランスで同時に存在している。
もうこの不思議な魅力はほかに見たことがないし、説明もできない。
本当におどろおどろしくて恐ろしいのに、ラストは美しさに陶然。
なんていうの?ポエジー?
皮膚はがすシーンなんてもう凄い。見せるようで見せない、見せないようで見せる。
カメラマン(オイゲン・シュフタン)の至芸!

またそれぞれの「顔」が。顔がもう。
主な登場人物は外科医(ピエール・ブラッスール)、その助手(アリダ・ヴァリ)、
そして外科医の娘(エディット・スコブ)。

外科医の娘は事故により顔に甚大なる損傷を受けて、
ふだんはマスクで傷を隠して、森の奥のお屋敷でヒッソリ暮らしてる。

(マスク姿、かとうあいさんに似てる)
外科医はそんな娘の顔を治そうと、
そこら辺に居る女の子をつかまえてきて顔の皮膚をひっぺがし、
娘の顔に移植を試みる。

手術は一見成功したかに見えて、仮面をはずしたエディット・スコブの顔も見られます。
なんとなく浮世ばなれしたような、焦点の合わない眼つき・・・
かわいらしいのに、仮面を取ってもなお怖い・・・

外科医のおっかなさも相当のもので、
この手術、娘のためってよりも実験したいがために見えて仕方ない。
手術後、徐々に再び崩れゆく娘の顔に嫌悪すらにじませる彼の残忍さよ。

そんな彼の「共犯者」アリダ・ヴァリはただただ禍々しい。
顔の密度凄い。


かわいそうな、連れてこられた女の子。
気絶状態からぼんやりと目をさますと横に居たのは・・・・・・
ここら辺の画面のぼかしかたとか本当恐ろしい。


そしてあの忘れがたいラストシーン。ハトと森と顔のない眼。
どこに行くんだろう、この先どうなるんだろう・・・
究極の宙づり状態で映画は終わる。
まるで、まだどっかの森で仮面をつけた少女が徘徊しているかのような錯覚に陥る。

けど大丈夫。
彼女はいまや「オスカー氏」なる人物のリムジン運転手をしているのです!
なんてネ。


2014年7月16日水曜日

海にもプールにも行かない夏に。

海にもプールにも行かない夏に。
とかいうと、
さも毎年行ってるが今年は諸般の事情に因って行けません、みたいな感じだけど、
ほんとのところ最後に水着を着たのは高校の授業の際。
最後に花火大会に行ったのは10年以上前。
夏特有のものでテンションが上がるのは、ビアガーデンくらい。


暑さと湿気によるいらだち。
日焼けのつらさ。
虫の脅威。
なんでか浮かれまわる世間との隔絶。

夏がどうにも苦手。
春も秋も冬も大好きだけど、夏だけはどうにも。


それでも、映画に表象される夏にはこんなにも心を動かされるのなんでだろう。
毎冬かならず見る作品は特にないのに、毎夏かならず見る作品は何本かある。

夏がくれば思い出す、きらめく夏に憧れる作品を、
思いつくままにあげてみて、長くあつい夏を乗り切る準備をしよう。


☆ピクニック(ジャン・ルノワール監督/1936年/フランス)
 奇跡のような幸福感。官能のつむじ風が吹きすさびまくる。

☆獅子座(エリック・ロメール監督/1959年/フランス)
 ヴァカンスから取り残されて乞食と化すのも一興か。

☆緑の光線(エリック・ロメール監督/1983年/フランス)
 信じがたいほどの若々しさ。いとおしくてたまらない映画。


☆オルエットのほうへ(ジャック・ロジエ監督/1969-1971年/フランス)
 この映画を好きにならない人とは根本の部分でわかりあえないと思ってる。

☆ションベン・ライダー(相米慎二監督/1985年/日本)
 我が史上の一本。毎年見ては、ふられてバンザイのとこで号泣。

☆太陽がいっぱい(ルネ・クレマン監督/1960年/フランス、イタリア)
 アランドロンになら何されても怒らないと確信した作品。世界一美しい男性。


☆冒険者たち(ロベール・アンリコ監督/1967年/フランス)
 大人の終わらない夏休みみたいな映画。でも、夏休みの終わり方はあまりに悲しい。

☆青い青い海(ボリス・バルネット監督/1935年/ウクライナ)
 このみずみずしさ!!!!!!

☆あの夏、いちばん静かな海。(北野武監督/1991年/日本)
 タイトルが映るころには涙で画面がくもってる。

☆ユリイカ(青山真治監督/2000年/日本)
 この映画に出会うために生まれてきたと思える。。完璧な映画。


☆アドベンチャーランドへようこそ(グレッグ・モットーラ監督/2009年/アメリカ)
 ゲームゲーム書いてあるダサいティーシャーツが似合うジェシーくん大好き。

☆女っ気なし(ギヨーム・ブラック監督/2011年/フランス)
 愛すべきヴァンサンに幸あれ。


あーーーー。
いい季節かも夏。

(思いついた順にささっと、制作年とかちゃんと調べず書いてるので違うかも)

フランス産が多いのは、ヴァカンスへのあこがれ???


今年の夏は、各所で特集上映が異常なる充実っぷり。
映画館に入り浸って、涼しくも怒涛の日々になるでしょう。
あは。楽しみー。

 

2014年7月12日土曜日

『草の上の昼食』

☆ジャン・ルノワール監督/1959年/フランス

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆なぜ見たか・・・お友達に、「この期におよんで見てないなんて」と言われて


この期におよんでとか言われても・・・この期ってなんだろう・・・
見たい映画はどうしようもなくたくさんあって時間が追っつかないから、
別にみてないことに理由とかないからね・・・

でも本当、こんなおもしろいものを今まで知らなかっただなんて。
この期におよんで見てない作品が多すぎて困る。


「人工授精による文明の進歩」を唱える有名な学者、アレクシス博士。
ある日彼は田舎での昼食会に招かれる。
そこで彼は、自説をくつがえさせられるような体験を・・・というお話。

この傑作に言葉は要らない!

草の上に突風が吹き荒れるや、誰もが官能を触発され、本能むきだし状態に。
そこに理屈は存在しない。
学者さんも小金持ちも下働きも、ただただ、こぞって甘い官能に身をまかせる。
科学も本能には勝てない。



この問答無用!
凡百の監督ならいろいろ説明せずにはいられないところを、一切の説明を排除して。

また、ヒロインが水浴びをする場面の限りない美しさよ。
括目して見て。

なんとなくもたついたようにゆったりとした水、そこに、ふくよかな女性の裸体。
何か神話の1シーンを見ているよう。


ルノワール監督作品には、すべての毛穴が幸福に弛緩してしまうような瞬間が
たしかに存在する。
下世話さも弱さもすべてを受容して微笑みに転換してしまうような力があると思う。
微笑みというか、生の歓びの爆発に。

『フレンジー』

☆アルフレッド・ヒッチコック監督/1972年/イギリス

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆なぜ見たか・・・ひさしぶりにヒッチ気分で


いやーーなんか一時期ヒッチ強化してたけど、いつの間にか忘れてました。
ひさしぶりに大先生の作品にふれてみる。


おっかないいポスター!!

ロンドンで連続殺人事件が起きる。
被害者はすべて女性、ネクタイで首を絞めた状態で発見されている。
とある街人(ジョン・フィンチ)がその事件に巻き込まれ、
容疑者として追われる身となってしまう・・・というお話。


濡れ衣を着せられて逃げまくる主人公、
恐怖の随所にあらわれるユーモア、
ふとしたズレからどんどん転がって展開していくサスペンス。
さすが!激おもしろい!

けれども「登場人物の粋さ」みたいなものはこの作品にはあまりなくて、
けっこう暑苦しい男どもがアップで映るし、美女も出てこないし(失礼)、
おっかない死体の映像とかも平気で出てくる。

主人公がまずなんか変で。

映画の途中まで、ほんとにこいつが犯人でもおかしくないような描かれ方をしてて、
私も少しく疑ってしまった。ゴメン。

ヒッチコック作品の主人公としてはかなり粗野で、
まぁファミリー・プロットのブルースダーンくらいには品が無いかな。

対する「真犯人」は、やっぱり紳士のツラをかぶってるのね。
でもこいつが殺人をするシーンは、どうしてもかなり暑苦しくなまなましくて、
生理的に不愉快でした・・・・・・
ヒッチ作品を見ててこういう感覚になったのは初めてだ・・・

でも幾度か出てくる殺人シーンで、殺人の手順を少しずつ観客に明かすんだけど、
もうなんかお見事のひとこと。
1回殺しをまざまざと見せたら、もう見せない。
女が部屋に入ってく、扉がしまる、なかで何してんのか映さずにカメラは、
ゆっくりゆっくりと後退しながら階段を下りてアパートの外に出て
アパート前の車道を突っ切るようなかたちで、最終的にはアパートを遠巻きに映す。
これがね、ワンカットですよ(たしか)。
もう驚いて口をバカみたいにあけることしか出来ない。


あーそういえば、この真犯人、ブルースダーンと同様に、
顔面を女性に踏まれるのね。

ええ、死体の足に。
このへんのどブラックユーモアは笑っていいやら悪いやら。。


けれどもユーモア大賞は、この事件を捜査する警部とその奥様。
奥様はフランス料理にハマってるご様子で、毎晩、
なんだかよくわからないゲテ料理みたいなものを供してくる。
警部はそれにめげていて、盛られた料理をコッソリ大皿に戻したりする日常。
さりとてこの奥様はかわいらしいお方、かつ、
ネクタイ殺人事件の真犯人を直感で言い当てるなど「女の勘」が発達してる。
(妻「私にはなんでもわかるのよ」
 夫「なら、僕が本当に食べたいものは何かわかる?」
 みたいな絶妙な会話もあり)

グロテスクな高級料理を食べながら、殺人事件の話題で盛り上がる夫婦。
それを、こんなに愛嬌たっぷりに描けるなんて。おもしろすぎる。うますぎる。


そして訪れる一瞬の、セリフなき幕切れ。
絶叫もの。


このトレイラー(PCから見れる)↓おもしろすぎ!!!!!
ヒッチコック大先生、なんてラヴリーラヴリーラヴリーーーなおじいさんなんでしょう!

『わたしはロランス』

☆グザヴィエ・ドラン監督/2012年/カナダ、フランス

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆なぜ見たか・・・公開時に見逃して。準新作100円だったので


グザヴィエドラン  ってなんか響きがすごい好き・・・濁点がいっぱいで・・・
声に出して発音したいどころか、叫んだりささやいたり、
いろんなヴァージョンで楽しみたい名前。


なかよしカップルのロランスとフレッド。
しかしロランスはある日、フレッドに、自分の心は女性であることを告白する。
激昂かつ混乱するフレッドだったが、
ロランスの「女性化」に協力することを決意する・・・というお話。


この作品はとても長くて(168分)、若さゆえかいろいろ詰め込んだ感がある。
そのわりに、ロランスがフレッドにカミングアウトするシーンなんか急も急で。
(カミングアウト寸前で場面を切ったのはスマートだと思うけど)
ちょっとよくわかんない感じ。

また、スロー映像の多用や手持ちカメラのぶれぶれ撮影なんかは、
長く見るにはあまり向いてなくて、イメージ先行のピーブイ監督か?と
序盤はかなり危惧。
島に旅したときのスローはとても綺麗だったけど、あそこだけで充分かも。

『砂丘』の幸せヴァージョン・・・?


そして音楽の使い方が・・・ダサくて・・・
あまり効果的ではないかも・・・・・・


と、難点を論ってしまったけど、
それでもこの作品は、肯定したくなるパワーがある。

私はなんでか「再会シーン」に弱くて、
昨年の夏に「恋愛映画ベストスリーを考える」っていう
不毛かつ楽しい苦行を自分に課したのだけど、挙がった究極の3本が
アタラント号
冬物語
ローラ(ドゥミのほう)
でした。昨年の夏時点では。
気づけば3作ともフランス産、再会もの。
個人的にはそんな、再会したら涙を流しちゃうような人は居ないんですけど、
素晴らしい描かれ方をされた再会シーンは本当に感動しちゃう。

この作品の再会シーン1回め、
お互い探り探りのところから一気に感情が高まるシーンでは、
急に涙がポロポロと・・・
接吻等をするという以前に、触れ合える喜び、みたいなものを感じて、
やっぱりふたり一緒にいなきゃダメなんだ!!!と鼻息を荒くした次第。
ふたりは絶対に一緒にいてほしかったのに、ハッピーには終わらないこの切なさ。
楽しい時間よりも痛みが多すぎたみたい。
はなればなれになることは、
吹き荒れる嵐のなかに飛び込んでいくことだった。


ドランくんの他の作品も見てみたい!
少なくともドランくんは、人物を描くことや映画を撮ることにとても誠実な感じがしたので。
(ロランスが初めて、女装して授業に出るシーン。
 あの撮り方はすごいと思う)


また特筆すべきはナタリーバイ!
先日『ママはレスリングクイーン』を見たときもすごいと思ったけど、
本当、若者の映画にも平気で出て素晴らしい演技をする、その姿勢に感動。
偉大だと思う。
われらがナタリーバイ。

主演のメルヴィルプポー氏は、本当にどんどん綺麗になっていくのがすごかった。
最初はちょっとこの人の女装きついかも・・・と思ったけど、終盤は特にそう思わず。

フレッド役のシュザンヌ・クレマンさんは、けっこう怒ってるシーンが多くて、
もっと魅力的に撮ってあげて、と思った。
カフェでぶちぎれるシーンはよかったけど!
けっこう終始怒ったり悲しんだりで、ハッピーなのは序盤だけだったので・・・
でもすごい切ない役だと思う。
自分の努力で越えられない壁、っていう、しかも、歴然とした片想いというわけではなく、
宙ぶらりんな状態がより彼女を苦しめる。

私はもうすぐ26歳になるというのにいまだに恋愛の機微があんまりわからないけど、
ドランくんはいろんな経験(恋愛以外でも)したんだろうな。


美しい、異色の、恋愛劇。
私はドランくんとモロ同世代なので、そういう意味でも興味が尽きない。
トムアットザファームは映画館にゴーですね。

『バード★シット』

☆ロバート・アルトマン監督/1970年/アメリカ

☆見るの・・・2回め

☆見た場所・・・新橋文化劇場(2か月くらい前に)

☆なぜ見たか・・・以前見たときの興奮が忘れられなくて


新橋文化劇場もなくなってしまう。。
この怒りと悲しみはどこにぶつけたらいいのかわかんないけど、
もう本当に、これ以上名画座がなくなりませんように。
シネコンばっかりあってもほんとにしょうがないし、つまんないし、
都市として価値が無い。
敢然として私は、名画座にかよいまくる。決然として。猛然として。


鳥のように空飛ぶことを夢見ている少年、ブルースターマクラウド。
野球場の地下に秘密の部屋を作って、トレーニングや研究にいそしむ毎日。
同じころその地域で、不可解な連続殺人が発生。
現場には必ず鳥のフン(バードシット)が落ちていて・・・というお話。


茶目っ気たっぷりの無法地帯、そんな感じ。
純粋でいて残酷、聖性と俗性のごたまぜ、繊細な狂騒、快楽しかるのち死。
映画を「分析」することの馬鹿馬鹿しさをあざ笑うかのような、映画。
アルトマンに一杯も二杯も喰わされよう!

主演はバッドコート。ひたむきな狂気を持つオタクっぽい役が似合ってる。
彼の行く先々にあらわれて彼を守るのは、サリーケラーマン。
いやー。アルトマン作品の「天使」は、トレンチコートを着てるね。
遺作の『今宵フィッツジェラルド劇場で』でもそうだった。


この作品はMASHと同年公開だけど、MASHのときよりだいぶ綺麗に見える・・・。

サリーケラーマンが服を脱ぐと、その背中はこんなふうになってる。

翼をなくした天使。

彼女が活躍するあのカーチェイスシーンの楽しさ!
すっとぼけたテンポで描かれるカーチェイスには、
アルトマンのニヤニヤ笑いが透けて見えるよう。
空飛ぶ車をスローでとらえるとこなんかもう、アルトマンここにあり、といった感じ。
いたずら心を感じずにはいられない。

車は空を飛ぶのに、人は。人類は。
セックスだけに満足して地上に縛り付けられた人類は空を飛べない。
繁殖以外の目的で性交をする人類は。

大団円、見世物の終わりを派手にしめくくるカーテンコール。
そのなかでひとり死んでいるバッドコートにズームするカメラの渇いた視線に戦慄。
物語は、潰えた夢をみはなして華々しく勝手に終わる。

とことんまでふざけて、一気に幕を引かれた感じ。

この映画の最大のおふざけは、ルネ・オーベルジョノワ演じる鳥類学者かも・・・
最初は「若干の鳥似」くらいだったのに、穀物っぽいエサをついばんだり、
背中が曲がってきたり、ついにはこんな姿に・・・


「少しずつ鳥に寄っていく」っていう設定がもう、ナンセンスのきわみというか、
ともすると幼稚園生くらいの発想な感じがして、
こんなことを凝りに凝ってやってるのがおもしろすぎる。
そして本当に鳥に似てくるルネさんよ。この人以外にできそうもない難役(?)

バッドコートを地上に引きずりおろすのは、シェリー・デュヴァル。


なんか口許がだらしなくてあまり好きになれないんだけど、
こういう不思議ちゃんの役をやらせたら本当うまいですね。
ウーパールーパーに似てると思ってたけど、この作品ではなんとなくシチメンチョウっぽい。

色っぽい女ではなくてこういうガリガリの不思議ちゃんにやられちゃうところが、
バッドコートだなーという感じがする。


新橋文化劇場というプチカオスで見られたのがまたうれしくて。


2014年7月3日木曜日

『地獄でなぜ悪い』

☆園子温監督/2013年/日本

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(地元ツタヤレンタル)

☆なぜ見たか・・・準新作100円だったので、出来心で


出来心というか。。
私はこれまでに園子温作品を『愛のむきだし』しか見たことなくて、
でも、絶対にそんなみんなホメるほど大したものではない、と確信していたんです。
さりとてたった一作見ただけでおおっぴらに貶すのもなーと思って、黙ってた。
で、もう一作くらい見たらもう少し釈然とするのではないか、と思って借りてみた次第。

基本的に私は映画の悪口を言わないけど、今回は例外。
誰も読んでないと思うので好き放題書くっ。


映画的センスの致命的欠如。
映画に対する浅薄きわまりない姿勢。
映画に誠実でない。(これが最大のネック?)

これ(映画に誠実でない点)は園さんに限ったことではなくて、
たとえば中島哲也なんかもそうでしょう。
嫌われ松子と告白を見たけど、ヒドいものでしたね。
渇きは予告編見た時点でダメさが伝わってきた(見てないから悪口いわないけど)。
あと昨年見た恋の渦なんかも映画として全く成立していない愚の骨頂的なもので、
こんなのをもてはやす人が多少なりとも居るなんてもう、
映画崩壊前夜とはこのことだと思った。


地獄でなぜ悪い。
これは映画作りの映画で、長谷川博己演じる映画監督志望の青年が
「腐った映画が多すぎる!俺は最高の映画を撮ってやるんだ!
 映画の神よ、よろしく頼みます」かなんかいうんだけど、失笑だね。
園子温にとって腐った映画とはなんなのか?映画の神とはなんなのか?
たぶんなんも考えてない。
この作品が腐っていないと言える根拠はどこにもないし、
映画の神とやらの力は借りられなかったらしい不幸な作品だよ。

そして園子温、人物を意図的に醜く撮ってるとしか思えないほど、
全役者に魅力が無い。
二階堂ふみなんかも絶句しちゃうほどダサい服着させられてかわいそう。
長谷川さん率いる映画集団の脇役の子たちなんてとてつもなくてきとうな描かれ方で、
監督から脇役へ微塵の愛も感じない。
役者たちは眼を白黒させて大声をあげるのが「熱演」だと信じているかのようで、
見ていられない。
興醒めもはなはだしく、なんのエモーションも生まれてこない。

また、困ったらスローモーション使おうみたいな浅薄さも許しがたいものがあって、
あまりのダサさと冗長さに私の眉間には無数のしわが・・・!
ただでさえ長い(130分)のに。

長尺になっちゃうのは、ただただ脚本がヒドいというのもあるだろうね。
物事と物事のあいだに関連性を生み出せず、すべてが無理矢理の展開。
(星野源と長谷川博己が出会うきっかけになるとこの展開とか、
 ヘタすぎて私は嘔吐しそうになった)
その無理矢理をねじ伏せる演出力が決定的に無い。


これらすべては、
園子温自身があまり映画を信じていない。
映画に対する誠実さの欠如。
・・・に起因するのではないかと思った。
映画じゃなくてもこの人はいいみたいだから。


あと言いたいのは、私はフォルムのヒドさに言及していて、
あらすじのヒドさとは言っていないということ。
どんなあらすじでも面白い人が撮れば面白くなると思う。

というのは私はジョン・ウォーターズ監督作品、
セシルBとかクライベイビーとか好きで。
ピンクフラミンゴはビビッて見れない不届き者ながら、
ジョン・ウォーターズ監督作品にはたしかに愛と節度があると思ってる。
フォルムはちゃんとしているし、
ダーティシェイムのようなとんでもない内容の作品でも誠実さは感じる。
映画として浅はかではない。

だからつまり園子温のまずさというのは、見せかけのインパクトがすべてで、
映画的興奮、しびれるようなエモーションとかが皆無なところ。
と私は考えます。

でも映画をあまり見ない人とか映画以外のものを信じてる人とかは、
このインパクトにだまされて、才薄き園子温に加担してしまうのだろうと思う。
才薄き中島哲也に。恋の渦に。


なんか私はこの浅薄さというのが、
誰かを傷つけるものに結び付いているような気がしてならないの。
大げさな意見でしょうけど。
ネットの世界で誰かを傷つける浅薄さと同質なものな気がしてならない。


だから私は、浅薄映画には断固ノーを言って、袂を分かつことにしたい。
誠実に作られたものを見ていたい。

2014年6月29日日曜日

『虹を掴む男』

☆ノーマン・Z・マクロード監督/1947年/アメリカ

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆なぜ見たか・・・ボリス・カーロフ氏の顔面見たさに


これ、見終わってプレイヤーにディスク入れたまま放置し、つまりは返却し忘れて、
その足で祖父母宅に2泊してしまった。
帰宅してDVD見よー、と思って、「なんかプレイヤーに入ってる!!!!!」と心底驚いた。
そんで数年ぶりに延滞料金を払うはめになりましたとさ。
度し難いポンコツだと思う。
今後この作品のことを思い出すたび、苦虫の味が口中に広がることでしょう。

さりとてそんな苦虫風味とは無縁の楽しき映画、虹を掴む男。
(ていうか、クソな映画を延滞しちゃったら立ち直れなかったと思うので、
 この映画がおもしろかったのが不幸中の幸いだと気づいた。ありがとうダニーケイ)


原題は The Secret Life of Walter Mitty
これで画像検索かけたら、
先ごろ日本でも公開されたライフ!とかいう映画の画像がたくさん出てきてびっくり。
ライフ!ってこれのリメイクなんですね!(見てないからしらないけどたぶんそう)


出版社に勤めるウォルター(ダニー・ケイ)には、極度の妄想癖が。
例1:石鹸の広告を見て、「水」のイメージからか、
吹き荒れる嵐の中で航海する帆船の船長として活躍する自分を事細かに妄想。
例2:社長が新企画「病院ロマンスもの」(何それ)の案を出すやいなや、
天才外科医として活躍する自分を長々と妄想。
あまりにヒドい妄想癖で、母親からも社長からもフィアンセからもボンクラと思われてる。
そんな彼、ある日の通勤中、知らない女性に急にキッスされる。
その女性は彼の妄想に毎回登場する、夢の美女だった!
その出会いをきっかけにウォルターは事件に巻き込まれていく・・・というお話。

ダニー・ケイさん、すぐに妄想に浸るお坊ちゃんという役がピッタリ。
情けなさとカッコよさと甘さの絶妙なバランス。(7:1:2くらい)
コメディというのは器用な人にしか出来ないのだなあと改めて思った。

声もいいから、妄想時のナレーションもなんかこっちまで妄想の世界に連れてってくれる。
妄想中にきまって響く、ポケタポケタポケタ・・・という擬音も楽しい。

船長、外科医、ガンマン、デザイナー、軍人・・・
妄想のなかでいろんなヒーローになるウォルター。
いかにも作りものめいたテクニカラーが、妄想によく映える!贅沢!
そしてベタベタな妄想内容にウォルターの甘ちゃんっぷりを見る。

周囲にとことんボンクラ扱いされる自分を、
大事にしてくれたのは、そして本当のヒーローにならせてくれたのは、
やっぱり妄想のなかのヴィーナスだった。

子どもじみた結末といったらそれまでだけど、なんとも夢があるじゃないですか。
これ、なんか物凄い寝不足のときに見たので少々ボンヤリしていて、
私もこれを見ているあいだずっと妄想に浸っていたような感じ・・・
ボンヤリしていたせいでストーリーの詳細とかきちんと記憶していないんだけど、
この作品のワクワクする滑稽さは妙に焼きついてる。


そしてもちろん、カーロフ氏の顔面も脳裏にくっきりと。
さすがおっかないですね、はは!
このわけわからんハゲかたももはや怖い。

最近グランドブダペストホテルのウィレムデフォー氏を見て確信に至ったのだけど、
やっぱりしわしわっとした怖い顔の俳優さんを見ると心が踊るね。
自分はどちらかというと平々凡々たるプレーンな顔立ちなので、
なんかすごい・・・これが顔なのか・・・!と思っちゃう。
スティーヴブシェミとかリーマーヴィンとかクリストファウォーケンとかさ、
居るだけで凄いもん。わーー、居る!!!ってなるもん。

カーロフさんはその見本みたいな存在で、ほんと、怖うま。
また声もすごい、心地よい低さ怖さにゾクゾク。耳元でなんか脅されたい。

各々の顔芸が光ってますね。(カーロフさんの眉毛すごっ)

各妄想に登場するヴァージニア・メイヨのコスプレも、
とんでもないナンセンスが猛襲する終盤も、ダニー・ケイ氏の虚勢も楽しい。


もう延滞するものか、という決意とともにここら辺でおしまい。

『復讐は俺に任せろ』

☆フリッツ・ラング監督/1953年/アメリカ

☆見るの・・・3回めくらい

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆なぜ見たか・・・先日『真人間』を見たらこの作品を思い出して


復習は俺に任せろ、そのかわり予習はお前がやれ。
・・・お受験映画の珍作!(全部嘘)

 

初めて見たときそうとうブッ飛んで、ラングの名前が私のなかに深く刻みこまれた。
何度見てもその素晴らしさは色褪せるどころか、見るたびに強烈な驚きと感動が!!!

もうグッとこないショットが無いほど大好きな映画で、どこから話していいのかもわかんない。
ともかく隙のないストーリーテリングとスピード感、主役級たちの顔の魅力、
個性的で忘れがたい脇役たち、シャープな画面、どこをとっても胸がアツくなる傑作。

主演は、グレンフォード。
妻を殺害されて復讐に邁進する元警官、という役どころが凄いハマってる。
その熱さと冷静さのバランスが。
ありあまるいい夫感、いいパパ感も、この作品に深みをもたらす。
(個人的にいってかなり理想の夫婦)

 

また驚くべきはグロリアグレアム。
ギャングマンの情婦、1週間のうち6日は買いものして、あとの1日は疲れて休む女。
鼻歌まじりに腰をふりながらお酒つくるところとか、サーカスのモノマネするところとか、
この人じゃなきゃ表現できない独特の幼さみたいなものが素晴らしい!!
ワザとらしくならずあんなことが出来るだなんて・・・
インテリジェンスを微塵も感じさせない、けどそこが良い!
バカっぽいけど不思議と情があってセクシーーーーで、ほんと、いい女。
少し眠たそうなドリーミーな眼つきと、ふくれたような頬&唇が、
成熟と未熟のあいだをいったりきたりする。
大好き!


そして、煮えたぎるコーヒーを顔にぶっかけられたあとの悲痛な美しさ。
美とグロテスクの表裏一体。
顔半分を包帯で覆った彼女にはある種のフリークス的な蠱惑も生まれて、
なんかしらないけどゾクゾクさせられる。


今回見直してびっくりしたのが、彼女が殺人をするシーンの素晴らしさ!
わけのわからない発言(ほんと不思議ちゃんの感じ)で相手を混乱に陥れ、
その隙に、これまでで最高の気分よ、とかいって眉ひとつ動かさず一撃。
身体じゅうの痺れがとまらないような流れでした。
こんな禍々しい女になっちゃって・・・
グレンフォードとのプラトニックな共犯関係には、涙が出そう。

また、リーマーヴィンに対する復讐シーンにも戦慄。
カメラがパッと切りかわるとコーヒーポットを片手にエラそうに立ってるあのショット!!!
思い出すだに鳥肌プチプチになりそう!

憎しみがぶつかりあうラスト一連のシーンは、臆面もなく完璧と言ってしまいたい。
顔半分を隠しながら死にゆくグロリアグレアムの哀しさも、
巨体をゆすぶってもがくリーマーヴィンの粗野っぷりも・・・

そうリーマーヴィンに言及してなかったわ。
まだけっこう若いころで、それなりにツルっとしてるけど、
やっぱり凄い顔だしほら穴から聞こえてくるみたいな声で、痺れる。
グロリアグレアムみたいな女をはべらせてるとこにも痺れる。


隅々まで大好きな、心の底から興奮する映画!!
いつか映画館で見られる日を楽しみに・・・