2014年11月10日月曜日

没後30年フランソワ・トリュフォー映画祭

パス買って日参!もう毎日が幸せでワクワクで、うれしかった。
あとから振り返ったとき、私にとって2014年10月は、
フォーシーズンズにとっての1963年12月と同様に、
キラキラと忘れがたいものになるでしょう。うふ。連日がOh what a night!!!!!

トリュフォーの映画を初めて見たときのことをけっこう鮮明に覚えていて、
あれは18歳になる数日前、日比谷シャンテで『大人は判ってくれない』。
これがなければのちの映画館生活はなかったかもしれないし、
すくなくとも仏文科に入ろうという発想はそれまで皆無だったので、
自分のなかでトリュフォーはやっぱ特別。すっごい特別!

ハタチくらいまでにいろいろ見てそれから見直してない作品も多数。
とりあえず映画祭が始まる前のトップスリーは、順不同で
『アメリカの夜』
『恋のエチュード』
『夜霧の恋人たち』
このへん。
何か変動はあるかしら?ってことで、わくわくスタート~~~。

(どういう形で記事にしようか迷ったけど、見た順に一言ずつ感想を!)


『大人は判ってくれない』1959年
一度見たら決して忘れられないショットが多すぎる。いまなお鮮烈。
アンリ・ドカの「生け捕りっぷり」と、息せき切ったつんのめり感にひたすら瞠目。
これがトリュフォーの最高傑作。

『アントワーヌとコレット』1962年
短いけど、その後のアントワーヌ・ドワネル像を決定づけた作品だと思う。
あの素っ頓狂な雰囲気とか!
コレット宅の目の前に引っ越してくるとこがキーで、最高にオカしいんだけど、かわいそう。

『夜霧の恋人たち』1968年
ドワネル=レオーさんが最も自由闊達に泳ぎまわってる感じで、これが一番好き!
プ・ヌ・マ・ティッック!!!洒落っ気と顔芸に満ちた一本。
飄然、軽妙、なりふりかまわないロマンチック。これがトリュフォーの最高傑作。

『家庭』1970年
これまで元気いっぱいだったドワネルさんが大人になっちゃって、ちょっとさみしい。
とはいえ、転職してナゾの業務に従事するのとか、やっぱユーモラス。(終日ラジコン)
クリスチーヌがタクシーで去る前後一連のシーン、せつなすぎてぐれそう。

『逃げ去る恋』1979年
とってつけたような終幕なんて言わせないっ。
レオーさんはこれが最後のトリュフォー作品出演になってしまったけど、
恋のエチュードやアメリカの夜では封印されてた「走るレオー」の復活に大拍手。

『トリュフォーの思春期』1976年
奇跡の一本。グレゴリー坊やは天使。
やっぱ愛されることを渇望してたトリュフォー少年が、
オッサンになって愛する側にまわれたからこそ撮れたのだと思う。大好き!!!
余談だけどフランスの小学校では、授業中に先生の関係者がフラっと入って来るのかな。
シャブロル『肉屋』でも、エレーヌに突然肉を持ってきたし。ポポール。
この映画でも先生の妻が雑用でフラっとやってきて、チューして帰っていきました。

『あこがれ』1957年
ベルナデットラフォンはヒラヒラでキラキラ。ジェラールブランは若い、チョットうざい!
少年たちのガンマンごっこに心乱される。好き!

『ピアニストを撃て』1960年
どっかズッコケたような、なんだかヘンテコな印象が、初めて見たときよりも引っかかった。
でもそこがいい。あのギャグっぽい歌もその印象を強めてるのかも。ともあれ才気煥発。
これを見たときはまだ、マリー・デュボワさんは生きてたのに。

『突然炎のごとく』1961年
ジャンヌモローが劇中で歌う「つむじ風」が、
もう彼女の生き急いでる感じを至高の美しさで表していて、涙なくして見られない。
けど、生き残ったからといって勝者になるとは限らない。ね。
これがトリュフォーの最高傑作。と同時にジャンヌモローのベストアクト。

『柔らかい肌』1964年
誰もがドルレアックに狂わずにはいられない作品。
ドルレアックの部屋にドサイーが入ってって、電気つけて、消して・・・の一連の流れ!!
美しい台詞を書くかと思いきや、重要なとこをセリフなしでやってのけるトリュフォーよ。

『華氏451』1966年
失敗作として名高いしやっぱ何かが歪んでる、けど断固肯定するし大好き。
「本を禁じられるなら、全部覚えてしまえばいい」という逃避の姿勢がせつない。。
アルドリッチのように、クサった世界に独自のルールで立ち向かうのではなくて、
なんかもう渾身の愛を抱えて逃げて狂ってく感じ。

『終電車』1980年
アルメンドロスの偉業!!ロウソクやランプの光の美しさに心奪われっぱなし。
室内を撮らせたらピカイチ。
「こもって身動きがとれない男」というのも、トリュフォー的なテーマのひとつかも。
ふられ続けるドパルデュー(元グランギニョル役者!)にうすら笑い。あはっ!
余談だけどモンマルトル墓地のトリュフォーの墓に行ったとき、
墓石の上にメトロの切符がたくさん置いてあって、なにこれーと思いつつ私も置いてきた。
という話を人にしたら、「終電車と関係あるんじゃない?」と!なんと!
原題も終電車、ル・デルニエ・メトロ(LE DERNIER METRO)だ!
事実はしらないけど自分のなかでは腑に落ちて、その説を採用。わーっ。

『暗くなるまでこの恋を』1969年
終電車の翌日に見たから気づいたんだけど、
ドヌーヴがベルモンドに言うのとまったく同じ台詞を、終電車ではまったく同じ構図で、
ドヌーヴがドパルデューに言ってた。これはリベンジ?
ベルモンドがあきらかにミスキャストだしなんかギクシャクしたトーンの風変わり作品。

『恋愛日記』1977年
邦題聞くとなんとなく楽しそうな、ウキウキの感じだけど、
実際は「恋しないと死んじゃう!!!!!!」みたいな切羽詰まり過ぎの、悲痛な作品。
デネルの職業は家庭のドワネルの系譜で、ちょっとフザけてるみたい。
そういうとこで、成熟しなさみたいものをペロっと描いてるっぽい。

『黒衣の花嫁』1968年
今回初めて見て、ちんちくりんのジャンヌモローにもビックリしたし、
何かがズレてる・・・現実の人生に即していないから?
デネルさんはなんかヘンタイ演技がハマってて、よかった。

『野性の少年』1970年
もう今回一番の衝撃がこれっ。5年ぶりくらいに見たら、あまりにも素晴らしかった。
愛によって啓蒙する。自分の眼で見て、自分の耳で聴く「人間」になるために。
人生はつらいけど美しい、っていう、トリュフォーの思春期の先生のスピーチもおんなじだ。
ジャンピエールレオーに捧ぐっていうのがまた泣ける。これがトリュフォーの最高傑作。

『緑色の部屋』1978年
これまたアルメンドロスの偉業。
文字通り死ぬほどの誠実さで、過去の声に耳をかたむける、って、
これもトリュフォーの標榜してることのひとつだなぁ。華氏451のテーマと通底。
美しく死ぬために美しく生きる。

『アメリカの夜』1973年
キレイゴトでもかまわない、これだけの大きな愛にふちどられてるなら!!!
ジャクリーンビセットは女神だし、ナタリーバイが超絶いい。好き過ぎる。
ドルリューによるあのテーマ、もう条件反射で心がときめいてざわめいて。。
これがトリュフォーの最高傑作。
ちなみにジャクリーンビセットとジャンピエールレオーとベルナールメネズは同いどし!

『日曜日が待ち遠しい!』1983年
ドランくんのようなホントの若者にも決して撮れないこの若さ、素朴さ、可愛らしさよ。
キラッキラ。こんな作品を残してってくれたトリュフォーが好き過ぎる。いとおしい。

『恋のエチュード』1971年
これがトリュフォーの最高傑作。号泣。
おもしろいセックスやドキドキするセックスのシーンはあるけれど、
こんなに涙がとまらないセックスシーンは他に類をみないと思う。
優美で残酷で、やっぱり恋しなきゃ死んじゃう病。


(パスをもってしても『隣の女』『私のように美しい娘』『アデルの恋の物語』は行けなくて、
 無念っ。
 DVDで見て2014年じゅうにコンプリートしよー)
でもパスのおかげで、いくつかの作品はおかわりもできたので本当に買ってよかったっ。


20作品を終えてみて、私はトリュフォーの、
死ぬほどの誠実さ。
手紙狂いっぷり。
ここらへんにすごい心惹かれてることを再認識!
私もことあるごとにお手紙を書きたい、できることならたくさんの人と文通をしたい派なので。
やっぱそこらへんも、心にグッとくるものがあった。

いびつな作品はあっても、誠実じゃない作品は一個もなかった。
親密に、やさしく語りかけてくれた。

そして、連日の大盛況。いくつかの作品では満席も。
大勢で見るトリュフォー、幸せでした。

私の目の前をとおってったジャンピエールレオーさん、
来てくれて本当に本当に・・・こんな幸せが平成日本に許されていいものか!
いいよね。みんなで享受した。
ありがとうございました。
大人は判ってくれないの後に入場してきたレオーさんの、
会場をみまわしてなんだか感嘆したような(しらないけど)あの瞳、
もう本当に胸がいっぱいになって涙出てきちゃった。
私は生き残るかもわからないし勝者になるかもわからないけど、
幸せ。