2014年7月16日水曜日

海にもプールにも行かない夏に。

海にもプールにも行かない夏に。
とかいうと、
さも毎年行ってるが今年は諸般の事情に因って行けません、みたいな感じだけど、
ほんとのところ最後に水着を着たのは高校の授業の際。
最後に花火大会に行ったのは10年以上前。
夏特有のものでテンションが上がるのは、ビアガーデンくらい。


暑さと湿気によるいらだち。
日焼けのつらさ。
虫の脅威。
なんでか浮かれまわる世間との隔絶。

夏がどうにも苦手。
春も秋も冬も大好きだけど、夏だけはどうにも。


それでも、映画に表象される夏にはこんなにも心を動かされるのなんでだろう。
毎冬かならず見る作品は特にないのに、毎夏かならず見る作品は何本かある。

夏がくれば思い出す、きらめく夏に憧れる作品を、
思いつくままにあげてみて、長くあつい夏を乗り切る準備をしよう。


☆ピクニック(ジャン・ルノワール監督/1936年/フランス)
 奇跡のような幸福感。官能のつむじ風が吹きすさびまくる。

☆獅子座(エリック・ロメール監督/1959年/フランス)
 ヴァカンスから取り残されて乞食と化すのも一興か。

☆緑の光線(エリック・ロメール監督/1983年/フランス)
 信じがたいほどの若々しさ。いとおしくてたまらない映画。


☆オルエットのほうへ(ジャック・ロジエ監督/1969-1971年/フランス)
 この映画を好きにならない人とは根本の部分でわかりあえないと思ってる。

☆ションベン・ライダー(相米慎二監督/1985年/日本)
 我が史上の一本。毎年見ては、ふられてバンザイのとこで号泣。

☆太陽がいっぱい(ルネ・クレマン監督/1960年/フランス、イタリア)
 アランドロンになら何されても怒らないと確信した作品。世界一美しい男性。


☆冒険者たち(ロベール・アンリコ監督/1967年/フランス)
 大人の終わらない夏休みみたいな映画。でも、夏休みの終わり方はあまりに悲しい。

☆青い青い海(ボリス・バルネット監督/1935年/ウクライナ)
 このみずみずしさ!!!!!!

☆あの夏、いちばん静かな海。(北野武監督/1991年/日本)
 タイトルが映るころには涙で画面がくもってる。

☆ユリイカ(青山真治監督/2000年/日本)
 この映画に出会うために生まれてきたと思える。。完璧な映画。


☆アドベンチャーランドへようこそ(グレッグ・モットーラ監督/2009年/アメリカ)
 ゲームゲーム書いてあるダサいティーシャーツが似合うジェシーくん大好き。

☆女っ気なし(ギヨーム・ブラック監督/2011年/フランス)
 愛すべきヴァンサンに幸あれ。


あーーーー。
いい季節かも夏。

(思いついた順にささっと、制作年とかちゃんと調べず書いてるので違うかも)

フランス産が多いのは、ヴァカンスへのあこがれ???


今年の夏は、各所で特集上映が異常なる充実っぷり。
映画館に入り浸って、涼しくも怒涛の日々になるでしょう。
あは。楽しみー。

 

2014年7月12日土曜日

『草の上の昼食』

☆ジャン・ルノワール監督/1959年/フランス

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆なぜ見たか・・・お友達に、「この期におよんで見てないなんて」と言われて


この期におよんでとか言われても・・・この期ってなんだろう・・・
見たい映画はどうしようもなくたくさんあって時間が追っつかないから、
別にみてないことに理由とかないからね・・・

でも本当、こんなおもしろいものを今まで知らなかっただなんて。
この期におよんで見てない作品が多すぎて困る。


「人工授精による文明の進歩」を唱える有名な学者、アレクシス博士。
ある日彼は田舎での昼食会に招かれる。
そこで彼は、自説をくつがえさせられるような体験を・・・というお話。

この傑作に言葉は要らない!

草の上に突風が吹き荒れるや、誰もが官能を触発され、本能むきだし状態に。
そこに理屈は存在しない。
学者さんも小金持ちも下働きも、ただただ、こぞって甘い官能に身をまかせる。
科学も本能には勝てない。



この問答無用!
凡百の監督ならいろいろ説明せずにはいられないところを、一切の説明を排除して。

また、ヒロインが水浴びをする場面の限りない美しさよ。
括目して見て。

なんとなくもたついたようにゆったりとした水、そこに、ふくよかな女性の裸体。
何か神話の1シーンを見ているよう。


ルノワール監督作品には、すべての毛穴が幸福に弛緩してしまうような瞬間が
たしかに存在する。
下世話さも弱さもすべてを受容して微笑みに転換してしまうような力があると思う。
微笑みというか、生の歓びの爆発に。

『フレンジー』

☆アルフレッド・ヒッチコック監督/1972年/イギリス

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆なぜ見たか・・・ひさしぶりにヒッチ気分で


いやーーなんか一時期ヒッチ強化してたけど、いつの間にか忘れてました。
ひさしぶりに大先生の作品にふれてみる。


おっかないいポスター!!

ロンドンで連続殺人事件が起きる。
被害者はすべて女性、ネクタイで首を絞めた状態で発見されている。
とある街人(ジョン・フィンチ)がその事件に巻き込まれ、
容疑者として追われる身となってしまう・・・というお話。


濡れ衣を着せられて逃げまくる主人公、
恐怖の随所にあらわれるユーモア、
ふとしたズレからどんどん転がって展開していくサスペンス。
さすが!激おもしろい!

けれども「登場人物の粋さ」みたいなものはこの作品にはあまりなくて、
けっこう暑苦しい男どもがアップで映るし、美女も出てこないし(失礼)、
おっかない死体の映像とかも平気で出てくる。

主人公がまずなんか変で。

映画の途中まで、ほんとにこいつが犯人でもおかしくないような描かれ方をしてて、
私も少しく疑ってしまった。ゴメン。

ヒッチコック作品の主人公としてはかなり粗野で、
まぁファミリー・プロットのブルースダーンくらいには品が無いかな。

対する「真犯人」は、やっぱり紳士のツラをかぶってるのね。
でもこいつが殺人をするシーンは、どうしてもかなり暑苦しくなまなましくて、
生理的に不愉快でした・・・・・・
ヒッチ作品を見ててこういう感覚になったのは初めてだ・・・

でも幾度か出てくる殺人シーンで、殺人の手順を少しずつ観客に明かすんだけど、
もうなんかお見事のひとこと。
1回殺しをまざまざと見せたら、もう見せない。
女が部屋に入ってく、扉がしまる、なかで何してんのか映さずにカメラは、
ゆっくりゆっくりと後退しながら階段を下りてアパートの外に出て
アパート前の車道を突っ切るようなかたちで、最終的にはアパートを遠巻きに映す。
これがね、ワンカットですよ(たしか)。
もう驚いて口をバカみたいにあけることしか出来ない。


あーそういえば、この真犯人、ブルースダーンと同様に、
顔面を女性に踏まれるのね。

ええ、死体の足に。
このへんのどブラックユーモアは笑っていいやら悪いやら。。


けれどもユーモア大賞は、この事件を捜査する警部とその奥様。
奥様はフランス料理にハマってるご様子で、毎晩、
なんだかよくわからないゲテ料理みたいなものを供してくる。
警部はそれにめげていて、盛られた料理をコッソリ大皿に戻したりする日常。
さりとてこの奥様はかわいらしいお方、かつ、
ネクタイ殺人事件の真犯人を直感で言い当てるなど「女の勘」が発達してる。
(妻「私にはなんでもわかるのよ」
 夫「なら、僕が本当に食べたいものは何かわかる?」
 みたいな絶妙な会話もあり)

グロテスクな高級料理を食べながら、殺人事件の話題で盛り上がる夫婦。
それを、こんなに愛嬌たっぷりに描けるなんて。おもしろすぎる。うますぎる。


そして訪れる一瞬の、セリフなき幕切れ。
絶叫もの。


このトレイラー(PCから見れる)↓おもしろすぎ!!!!!
ヒッチコック大先生、なんてラヴリーラヴリーラヴリーーーなおじいさんなんでしょう!

『わたしはロランス』

☆グザヴィエ・ドラン監督/2012年/カナダ、フランス

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆なぜ見たか・・・公開時に見逃して。準新作100円だったので


グザヴィエドラン  ってなんか響きがすごい好き・・・濁点がいっぱいで・・・
声に出して発音したいどころか、叫んだりささやいたり、
いろんなヴァージョンで楽しみたい名前。


なかよしカップルのロランスとフレッド。
しかしロランスはある日、フレッドに、自分の心は女性であることを告白する。
激昂かつ混乱するフレッドだったが、
ロランスの「女性化」に協力することを決意する・・・というお話。


この作品はとても長くて(168分)、若さゆえかいろいろ詰め込んだ感がある。
そのわりに、ロランスがフレッドにカミングアウトするシーンなんか急も急で。
(カミングアウト寸前で場面を切ったのはスマートだと思うけど)
ちょっとよくわかんない感じ。

また、スロー映像の多用や手持ちカメラのぶれぶれ撮影なんかは、
長く見るにはあまり向いてなくて、イメージ先行のピーブイ監督か?と
序盤はかなり危惧。
島に旅したときのスローはとても綺麗だったけど、あそこだけで充分かも。

『砂丘』の幸せヴァージョン・・・?


そして音楽の使い方が・・・ダサくて・・・
あまり効果的ではないかも・・・・・・


と、難点を論ってしまったけど、
それでもこの作品は、肯定したくなるパワーがある。

私はなんでか「再会シーン」に弱くて、
昨年の夏に「恋愛映画ベストスリーを考える」っていう
不毛かつ楽しい苦行を自分に課したのだけど、挙がった究極の3本が
アタラント号
冬物語
ローラ(ドゥミのほう)
でした。昨年の夏時点では。
気づけば3作ともフランス産、再会もの。
個人的にはそんな、再会したら涙を流しちゃうような人は居ないんですけど、
素晴らしい描かれ方をされた再会シーンは本当に感動しちゃう。

この作品の再会シーン1回め、
お互い探り探りのところから一気に感情が高まるシーンでは、
急に涙がポロポロと・・・
接吻等をするという以前に、触れ合える喜び、みたいなものを感じて、
やっぱりふたり一緒にいなきゃダメなんだ!!!と鼻息を荒くした次第。
ふたりは絶対に一緒にいてほしかったのに、ハッピーには終わらないこの切なさ。
楽しい時間よりも痛みが多すぎたみたい。
はなればなれになることは、
吹き荒れる嵐のなかに飛び込んでいくことだった。


ドランくんの他の作品も見てみたい!
少なくともドランくんは、人物を描くことや映画を撮ることにとても誠実な感じがしたので。
(ロランスが初めて、女装して授業に出るシーン。
 あの撮り方はすごいと思う)


また特筆すべきはナタリーバイ!
先日『ママはレスリングクイーン』を見たときもすごいと思ったけど、
本当、若者の映画にも平気で出て素晴らしい演技をする、その姿勢に感動。
偉大だと思う。
われらがナタリーバイ。

主演のメルヴィルプポー氏は、本当にどんどん綺麗になっていくのがすごかった。
最初はちょっとこの人の女装きついかも・・・と思ったけど、終盤は特にそう思わず。

フレッド役のシュザンヌ・クレマンさんは、けっこう怒ってるシーンが多くて、
もっと魅力的に撮ってあげて、と思った。
カフェでぶちぎれるシーンはよかったけど!
けっこう終始怒ったり悲しんだりで、ハッピーなのは序盤だけだったので・・・
でもすごい切ない役だと思う。
自分の努力で越えられない壁、っていう、しかも、歴然とした片想いというわけではなく、
宙ぶらりんな状態がより彼女を苦しめる。

私はもうすぐ26歳になるというのにいまだに恋愛の機微があんまりわからないけど、
ドランくんはいろんな経験(恋愛以外でも)したんだろうな。


美しい、異色の、恋愛劇。
私はドランくんとモロ同世代なので、そういう意味でも興味が尽きない。
トムアットザファームは映画館にゴーですね。

『バード★シット』

☆ロバート・アルトマン監督/1970年/アメリカ

☆見るの・・・2回め

☆見た場所・・・新橋文化劇場(2か月くらい前に)

☆なぜ見たか・・・以前見たときの興奮が忘れられなくて


新橋文化劇場もなくなってしまう。。
この怒りと悲しみはどこにぶつけたらいいのかわかんないけど、
もう本当に、これ以上名画座がなくなりませんように。
シネコンばっかりあってもほんとにしょうがないし、つまんないし、
都市として価値が無い。
敢然として私は、名画座にかよいまくる。決然として。猛然として。


鳥のように空飛ぶことを夢見ている少年、ブルースターマクラウド。
野球場の地下に秘密の部屋を作って、トレーニングや研究にいそしむ毎日。
同じころその地域で、不可解な連続殺人が発生。
現場には必ず鳥のフン(バードシット)が落ちていて・・・というお話。


茶目っ気たっぷりの無法地帯、そんな感じ。
純粋でいて残酷、聖性と俗性のごたまぜ、繊細な狂騒、快楽しかるのち死。
映画を「分析」することの馬鹿馬鹿しさをあざ笑うかのような、映画。
アルトマンに一杯も二杯も喰わされよう!

主演はバッドコート。ひたむきな狂気を持つオタクっぽい役が似合ってる。
彼の行く先々にあらわれて彼を守るのは、サリーケラーマン。
いやー。アルトマン作品の「天使」は、トレンチコートを着てるね。
遺作の『今宵フィッツジェラルド劇場で』でもそうだった。


この作品はMASHと同年公開だけど、MASHのときよりだいぶ綺麗に見える・・・。

サリーケラーマンが服を脱ぐと、その背中はこんなふうになってる。

翼をなくした天使。

彼女が活躍するあのカーチェイスシーンの楽しさ!
すっとぼけたテンポで描かれるカーチェイスには、
アルトマンのニヤニヤ笑いが透けて見えるよう。
空飛ぶ車をスローでとらえるとこなんかもう、アルトマンここにあり、といった感じ。
いたずら心を感じずにはいられない。

車は空を飛ぶのに、人は。人類は。
セックスだけに満足して地上に縛り付けられた人類は空を飛べない。
繁殖以外の目的で性交をする人類は。

大団円、見世物の終わりを派手にしめくくるカーテンコール。
そのなかでひとり死んでいるバッドコートにズームするカメラの渇いた視線に戦慄。
物語は、潰えた夢をみはなして華々しく勝手に終わる。

とことんまでふざけて、一気に幕を引かれた感じ。

この映画の最大のおふざけは、ルネ・オーベルジョノワ演じる鳥類学者かも・・・
最初は「若干の鳥似」くらいだったのに、穀物っぽいエサをついばんだり、
背中が曲がってきたり、ついにはこんな姿に・・・


「少しずつ鳥に寄っていく」っていう設定がもう、ナンセンスのきわみというか、
ともすると幼稚園生くらいの発想な感じがして、
こんなことを凝りに凝ってやってるのがおもしろすぎる。
そして本当に鳥に似てくるルネさんよ。この人以外にできそうもない難役(?)

バッドコートを地上に引きずりおろすのは、シェリー・デュヴァル。


なんか口許がだらしなくてあまり好きになれないんだけど、
こういう不思議ちゃんの役をやらせたら本当うまいですね。
ウーパールーパーに似てると思ってたけど、この作品ではなんとなくシチメンチョウっぽい。

色っぽい女ではなくてこういうガリガリの不思議ちゃんにやられちゃうところが、
バッドコートだなーという感じがする。


新橋文化劇場というプチカオスで見られたのがまたうれしくて。


2014年7月3日木曜日

『地獄でなぜ悪い』

☆園子温監督/2013年/日本

☆見るの・・・初めて

☆見た場所・・・自宅(地元ツタヤレンタル)

☆なぜ見たか・・・準新作100円だったので、出来心で


出来心というか。。
私はこれまでに園子温作品を『愛のむきだし』しか見たことなくて、
でも、絶対にそんなみんなホメるほど大したものではない、と確信していたんです。
さりとてたった一作見ただけでおおっぴらに貶すのもなーと思って、黙ってた。
で、もう一作くらい見たらもう少し釈然とするのではないか、と思って借りてみた次第。

基本的に私は映画の悪口を言わないけど、今回は例外。
誰も読んでないと思うので好き放題書くっ。


映画的センスの致命的欠如。
映画に対する浅薄きわまりない姿勢。
映画に誠実でない。(これが最大のネック?)

これ(映画に誠実でない点)は園さんに限ったことではなくて、
たとえば中島哲也なんかもそうでしょう。
嫌われ松子と告白を見たけど、ヒドいものでしたね。
渇きは予告編見た時点でダメさが伝わってきた(見てないから悪口いわないけど)。
あと昨年見た恋の渦なんかも映画として全く成立していない愚の骨頂的なもので、
こんなのをもてはやす人が多少なりとも居るなんてもう、
映画崩壊前夜とはこのことだと思った。


地獄でなぜ悪い。
これは映画作りの映画で、長谷川博己演じる映画監督志望の青年が
「腐った映画が多すぎる!俺は最高の映画を撮ってやるんだ!
 映画の神よ、よろしく頼みます」かなんかいうんだけど、失笑だね。
園子温にとって腐った映画とはなんなのか?映画の神とはなんなのか?
たぶんなんも考えてない。
この作品が腐っていないと言える根拠はどこにもないし、
映画の神とやらの力は借りられなかったらしい不幸な作品だよ。

そして園子温、人物を意図的に醜く撮ってるとしか思えないほど、
全役者に魅力が無い。
二階堂ふみなんかも絶句しちゃうほどダサい服着させられてかわいそう。
長谷川さん率いる映画集団の脇役の子たちなんてとてつもなくてきとうな描かれ方で、
監督から脇役へ微塵の愛も感じない。
役者たちは眼を白黒させて大声をあげるのが「熱演」だと信じているかのようで、
見ていられない。
興醒めもはなはだしく、なんのエモーションも生まれてこない。

また、困ったらスローモーション使おうみたいな浅薄さも許しがたいものがあって、
あまりのダサさと冗長さに私の眉間には無数のしわが・・・!
ただでさえ長い(130分)のに。

長尺になっちゃうのは、ただただ脚本がヒドいというのもあるだろうね。
物事と物事のあいだに関連性を生み出せず、すべてが無理矢理の展開。
(星野源と長谷川博己が出会うきっかけになるとこの展開とか、
 ヘタすぎて私は嘔吐しそうになった)
その無理矢理をねじ伏せる演出力が決定的に無い。


これらすべては、
園子温自身があまり映画を信じていない。
映画に対する誠実さの欠如。
・・・に起因するのではないかと思った。
映画じゃなくてもこの人はいいみたいだから。


あと言いたいのは、私はフォルムのヒドさに言及していて、
あらすじのヒドさとは言っていないということ。
どんなあらすじでも面白い人が撮れば面白くなると思う。

というのは私はジョン・ウォーターズ監督作品、
セシルBとかクライベイビーとか好きで。
ピンクフラミンゴはビビッて見れない不届き者ながら、
ジョン・ウォーターズ監督作品にはたしかに愛と節度があると思ってる。
フォルムはちゃんとしているし、
ダーティシェイムのようなとんでもない内容の作品でも誠実さは感じる。
映画として浅はかではない。

だからつまり園子温のまずさというのは、見せかけのインパクトがすべてで、
映画的興奮、しびれるようなエモーションとかが皆無なところ。
と私は考えます。

でも映画をあまり見ない人とか映画以外のものを信じてる人とかは、
このインパクトにだまされて、才薄き園子温に加担してしまうのだろうと思う。
才薄き中島哲也に。恋の渦に。


なんか私はこの浅薄さというのが、
誰かを傷つけるものに結び付いているような気がしてならないの。
大げさな意見でしょうけど。
ネットの世界で誰かを傷つける浅薄さと同質なものな気がしてならない。


だから私は、浅薄映画には断固ノーを言って、袂を分かつことにしたい。
誠実に作られたものを見ていたい。