2013年9月17日火曜日

『悲しみは空の彼方に』

☆ダグラス・サーク監督/1959年/アメリカ

☆見るの・・・3回め

☆見た場所・・・自宅(シブツタレンタル)

☆なぜ見たか・・・シブツタ「発掘良品」シリーズが100円で借りれたので


大傑作。号泣して嗚咽してしゃくりあげてしまう映画。
原題はImitation of Life
理想化された現実、人生のイミテーション(模倣)。
劇化された虚構の現実。


女優を夢見るローラと、その娘スージー。
夫には先立たれている。

一方、黒人のアニーと、その娘サラジェーン。
白人の夫の行方は杳として知れない。サラジェーンは「見た目は白人」。

この二組の母娘が出会い、ともに暮らすようになり、
それから10年以上にわたるドラマを描いた作品。

舞台女優として成功したローラは、娘であるスージーと口論の際、
「そんな芝居はやめて。ここは舞台じゃないのよ」とか言われてしまう。
ストップアクティング、みたいな感じで(たぶん)。
芝居=偽り、ですからね。

サラジェーンは黒人でありながら白い肌をしている。
周囲には黒人であることを隠して、白人として生きようとしてる。
菩薩のような母アニーは「自分を恥じたり偽ったりすることは罪だ」と言い続けるけど、
サラジェーンはかたくなに反発する。


「イミテーション」というテーマを浮き彫りにするのが、「鏡」の存在。
特にサラジェーンに対して、鏡は容赦ない。
(ボーイフレンドに暴力をふるわれるシーンの残酷なやりきれなさたるや・・・)

そしてとうとうサラジェーンは家出、ダンサーになる。
心配して様子を見に行くアニー。
けれども、母娘だとわかると、周囲に黒人であることがバレてしまう。
アニーは娘を偽名で呼び、
サラジェーンはアニーのことを「ママ」と、どうしても声に出して呼ぶことができない。

当時の社会で黒人差別がどれほどのものであったのか、
こればっかりはいくらお勉強しても、根っこの部分がわからないというか、
わかった気になっては絶対にいけないことだと思う。
体感的には、本当にそこで暮らしてる人じゃないとわからないでしょう。
なので、サラジェーンがどうしてそこまで黒人とバレたくないのか、よくわからないけど、
娘のことを偽名で呼ばなくてはならない、
ママのことをママと呼べない、
この壮絶な悲しみはちょっと比類ない。
私はこのシーンを見て、今回も、しゃくりあげて泣いてしまいました。

サラジェーンに苦痛の概念を与えたのは社会の不条理さ。
そしてラスト、一見うまいこと哀しく&優しくまとまったように見えかねないけど、
不条理な社会は何にも変わっていない。
深い悲しみの余韻をまとったまま、物語は終わってしまう。

かわいそうなアニー。
この素晴らしい母親を見たら、誰もが、「もっと他人に優しくしよう」と思うでしょう。
私は思います。
泣き顔みたいな笑顔が忘れがたい。


悲しい物語を美しく謳いあげてしまう映画こそ、究極のイミテーションですね。
私はイミテーションにこんなにも魅せられてるんだー。
サークの魔法のような作劇術に。


最後にどうでもいいけど言及せずにいられないことをひとつ。
ダンサーになったサラジェーン、ダンスシーンが何度か出てくるのだけど、
どヘタもいいとこだ!!!
サラジェーンが踊るシーンは悪いけど笑っちゃうしモノマネしちゃうよ。
「先天的にリズム感がないとはこういうことなのか」って感じで。
あれは、ワザとヘタな人をキャスティングしたの??
気になるトコです。


ともあれ傑作。

1 件のコメント:

  1. 最近「悲しみは空の彼方に」を観た者です。
    サラジェーンのダンスシーンめちゃくちゃ笑いました。同じ方がいて良かったです。

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